熊山(読み)くまやま

日本歴史地名大系 「熊山」の解説

熊山
くまやま

熊山町・瀬戸せと町・備前市にまたがる山で、山頂部は熊山町に所属する。標高五〇七・八メートル。

山頂の南東部分は比較的平坦(浸食小起伏面)になっており、熊山神社、霊仙りようぜん寺戒光院山上伽藍跡、国指定史跡の石積遺構で知られる熊山遺跡鍛冶かじ神社跡などがあり、南東麓には備前の山岳信仰の一拠点である福生ふくしよう(現備前市)もある。伝承によると、天平時代(七二九―七四九)来日した鑑真が上洛の途上賀々戸かがと(現備前市香登)を通り、熊山の霊気にうたれてここを仏教を広める地とし、帝釈山霊仙寺を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊山」の意味・わかりやすい解説

熊山(旧町名)
くまやま

岡山県南東部、赤磐郡(あかいわぐん)にあった旧町名(熊山町(ちょう))。現在は赤磐市南部を占める地域。吉井川が地域の東部を南東流し、川に沿ってJR山陽本線が走る。旧熊山町は、1953年(昭和28)熊山、可真(かま)、小野田、豊田の4村が合併して町制施行。2005年(平成17)山陽、赤坂、吉井の3町と合併して市制施行、赤磐市となった。農業が主で、吉井川の谷底平野や支流の可真川、小野田川沿いに水田がある。可真地区は岡山県のモモ栽培発祥地で、現在はモモ、ブドウなどの苗木の産地。地域の西部に民間造成の大住宅団地岡山ネオポリスがある。熊山の山上にある熊山遺跡は国指定史跡。

[由比浜省吾]

『『熊山町誌』(1973・熊山町)』『『熊山町史』全3巻(1993~1995・熊山町)』


熊山(山)
くまやま

岡山県南東部、赤磐(あかいわ)市、岡山市東区、備前(びぜん)市の境にある山。標高508メートル。かつては熊山権現と霊山寺のある神仏混交の地であった。山上には3層からなる方形の石積み遺構があり、熊山遺跡(国指定史跡)とよばれる。近くに熊山神社があり、春の大祭は多くの人でにぎわう。また中世には熊山城があり、1336年(延元1・建武3)新田(にった)軍の児島高徳(こじまたかのり)がここに拠(よ)り、足利(あしかが)軍と戦ったと伝えられ、合戦の模様は『太平記』に記される。

[由比浜省吾]

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百科事典マイペディア 「熊山」の意味・わかりやすい解説

熊山[町]【くまやま】

岡山県南東部,赤磐(あかいわ)郡の旧町。吉井川下流域の主集落は山陽本線が通じる。米,モモ,ブドウを産し,縫製,食品などの工業も行う。西部に大規模な住宅団地がある。南の熊山の頂上には割石を3段に積んだ熊山遺跡(史跡)がある。2005年3月赤磐郡山陽町,赤坂町,吉井町と合併し市制,赤磐市となる。45.73km2。8718人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「熊山」の意味・わかりやすい解説

熊山
くまやま

岡山県南東部,赤磐市東部の旧町域。吉井川下流域にある。 1953年熊山村の一部と豊田村,小野田村,可真村の3村が合体して町制。 2005年山陽町,赤坂町,吉井町と合体して赤磐市となった。松木は古代官道の宿駅。モモ,ブドウの栽培が行なわれるほか,干瓢が生産される。中央部の可真は県のモモ栽培の発祥地として知られる。南西の山陽地区との間に大型住宅団地があり,岡山市のベッドタウン化が著しい。南部の熊山の平坦な山頂には霊山寺の戒壇の遺構 (熊山遺跡。国指定史跡) がみられ,北部の石蓮寺には鎌倉時代の十三重塔が残っている。

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改訂新版 世界大百科事典 「熊山」の意味・わかりやすい解説

熊山 (くまやま)

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事典・日本の観光資源 「熊山」の解説

熊山

(岡山県赤磐市)
おかやまの自然百選」指定の観光名所。

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