久保貞次郎(読み)クボ サダジロウ

20世紀日本人名事典 「久保貞次郎」の解説

久保 貞次郎
クボ サダジロウ

昭和・平成期の美術評論家,美術収集家 元・跡見学園短期大学学長。



生年
明治42(1909)年5月12日

没年
平成8(1996)年10月31日

出生地
栃木県足利市

別名
筆名=久保 鉄槌(クボ テッツイ)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部教育学科〔昭和8年〕卒,東京帝国大学大学院教育学専攻修士課程修了

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和53年〕,勲三等瑞宝章〔昭和58年〕

経歴
昭和11年より欧米に留学、オーストリアの心理学者・チセックに共鳴。14年帰国後は北川民次に心酔し児童画を研究。22年創造美術教育協会の創立に参加、美術教育の一新に努めた。また自己のコレクションを中心にコレクター組織を推進、版画の普及にも努める。跡見学園短期大学学長を2期、町田市立国際版画美術館初代館長などを務めた。著書に「ピイタア・ブリウゲル」「児童美術」「児童画の見方」、「久保貞次郎美術の世界」(全17巻 叢文社)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保貞次郎」の解説

久保貞次郎 くぼ-さだじろう

1909-1996 昭和-平成時代の美術評論家。
明治42年5月12日生まれ。欧米留学後,北川民次を知り,昭和22年創造美育協会を設立,小中学生の創造主義美術教育運動をすすめる。26年瑛九(えいきゆう)らの結成したデモクラート美術家協会を支援。52年跡見学園短大学長。61年町田市立国際版画美術館初代館長。小コレクター運動でも知られる。平成8年10月31日死去。87歳。栃木県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「久保貞次郎」の解説

久保 貞次郎 (くぼ さだじろう)

生年月日:1909年5月12日
昭和時代;平成時代の美術評論家;美術収集家。跡見学園短期大学学長;町田市立国際版画美術館館長
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の久保貞次郎の言及

【美術教育】より

…その後,軍国主義化が進行し図画は〈国民的情操ノ陶冶ニ資スルモノ〉として,皇国民育成のための国民学校芸能科図画にとって代わられた。 以上のような第2次大戦前および戦時中の国家主義的な教育に対し,戦後,久保貞次郎や北川民次らによって,子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(協会設立は1952年5月)が展開された。これはチゼックや山本鼎の思想をうけつぐもので,教師やおとなの権威,干渉,指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張した。…

※「久保貞次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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