大正・昭和期の洋画家,児童画教育者
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
画家。静岡県出身。早稲田大学を中退して渡米。1917年ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでスローンJohn Sloan(1871-1951)の指導を受けるが,そのときの学友に国吉康雄がいる。アメリカ南部を放浪し,キューバを経て,23年メキシコに入る。サン・カルロス美術学校を卒業後,オロスコ,リベラ,シケイロスなどメキシコ壁画運動の推進者たちと交友する。メキシコ市郊外トラルパンの野外美術学校,タスコでの児童画教育を約10年間行い,36年に帰国。滞メキシコ時代の作品を第24回二科会展に出品して注目される。ダイナミックな構成でメキシコの風景と群像を描いた画面は,フランス美術の影響下にあった日本の美術界に強い衝撃をあたえた。第2次大戦後も一貫して工場風景など社会的な主題を描いた。著書に《絵を描く子供たち》(1952)などがある。
執筆者:酒井 忠康
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洋画家。静岡県生まれ。1913年(大正2)早稲田(わせだ)大学を中退してニューヨークに渡り、アート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。23年メキシコに移り、サンカルロス美術学校を卒業。革命後の美術運動に参加してシケイロス、リベラ、オロスコと交友する。36年(昭和11)帰国し、翌年二科展に『タスコの祭日』ほかを出品して会員となる。第二次世界大戦後は、創造美育協会の創立に参加。第6回現代日本美術展に『哺育(ほいく)』を出品して優秀賞を受ける。力強く明快な具象作風を示し、版画作品も多い。著書『絵をかく子どもたち』ほか。
[小倉忠夫]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…その後,軍国主義化が進行し図画は〈国民的情操ノ陶冶ニ資スルモノ〉として,皇国民育成のための国民学校芸能科図画にとって代わられた。 以上のような第2次大戦前および戦時中の国家主義的な教育に対し,戦後,久保貞次郎や北川民次らによって,子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(協会設立は1952年5月)が展開された。これはチゼックや山本鼎の思想をうけつぐもので,教師やおとなの権威,干渉,指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張した。…
※「北川民次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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