北川民次(読み)キタガワタミジ

デジタル大辞泉 「北川民次」の意味・読み・例文・類語

きたがわ‐たみじ〔きたがは‐〕【北川民次】

[1894~1989]洋画家静岡の生まれ。渡米したのちメキシコに渡りシケイロスらと交遊。メキシコ絵画の影響を受けた、力強い作風が特徴作品に「タスコ祭日」「哺育」など。

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20世紀日本人名事典 「北川民次」の解説

北川 民次
キタガワ タミジ

大正・昭和期の洋画家,児童画教育者



生年
明治27(1894)年1月17日

没年
平成1(1989)年4月26日

出生地
静岡県榛原郡五和村(現・金谷町)

学歴〔年〕
早稲田専門学校(現・早稲田大学)〔明治45年〕中退,サン・カルロス美術学校(メキシコ)卒

主な受賞名〔年〕
中日文化賞(第5回)〔昭和27年〕,アギラ・アステカ勲章(メキシコ)〔昭和61年〕

経歴
大正2年渡米、皿洗いなどをしながらニューヨークアート・ステューデンツ・リーグでジョンスローンに学ぶ。11年ニューヨークを離れ、アメリカ南部を放浪の後、メキシコ経由で戻るつもりが、盗難にあって無一文になりメキシコで聖画行商などをする。14年サンカルロス美術学校に学ぶ。15年からトラムパムの野外美術学校に勤め、昭和6年タスコに同校を移し校長に就任。11年に帰国、以後、瀬戸市に居を定める。12年二科展に「タスコの祭」など出品、二科会会員となる。戦後は東郷青児とともに二科会の隆盛を築き、副会長を経て、53年会長に就任。しかしわずか5ケ月後に“美術運動に無縁争いの場”と批判し、会長を辞任するとともに退会。一方、24年から毎夏、名古屋動物園美術学校を開校して、小学生の絵画教育を始め、26年には名古屋市内に北川児童美術研究所を開設。創造美術運動のきっかけをつくるなど児童画教育者として国際的な評価を受けた。代表作に連作「メキシコ風俗」、「哺育」など、著書に「絵を描く子供たち」、絵本「うさぎの耳はなぜながい」など。平成6年北川民次アトリエを守る会が発足、荒廃したアトリエの保存に取り組む。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「北川民次」の意味・わかりやすい解説

北川民次 (きたがわたみじ)
生没年:1894-1989(明治27-平成1)

画家。静岡県出身。早稲田大学を中退して渡米。1917年ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでスローンJohn Sloan(1871-1951)の指導を受けるが,そのときの学友に国吉康雄がいる。アメリカ南部を放浪し,キューバを経て,23年メキシコに入る。サン・カルロス美術学校を卒業後,オロスコ,リベラ,シケイロスなどメキシコ壁画運動の推進者たちと交友する。メキシコ市郊外トラルパンの野外美術学校,タスコでの児童画教育を約10年間行い,36年に帰国。滞メキシコ時代の作品を第24回二科会展に出品して注目される。ダイナミックな構成でメキシコの風景と群像を描いた画面は,フランス美術の影響下にあった日本の美術界に強い衝撃をあたえた。第2次大戦後も一貫して工場風景など社会的な主題を描いた。著書に《絵を描く子供たち》(1952)などがある。
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百科事典マイペディア 「北川民次」の意味・わかりやすい解説

北川民次【きたがわたみじ】

洋画家。静岡県生れ。早大中退後,米国,メキシコで美術学校に学び,メキシコ革命後の美術運動に参加,1926年メキシコ野外美術学校教授,1931年タスコの野外美術学校校長となる。1936年帰国後二科会会員。1978年会長,同年退会。土俗的色彩が濃い力強い作風で,日本の洋画界では特異な存在。
→関連項目名古屋市美術館

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北川民次」の意味・わかりやすい解説

北川民次
きたがわたみじ
(1894―1989)

洋画家。静岡県生まれ。1913年(大正2)早稲田(わせだ)大学を中退してニューヨークに渡り、アート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。23年メキシコに移り、サンカルロス美術学校を卒業。革命後の美術運動に参加してシケイロス、リベラ、オロスコと交友する。36年(昭和11)帰国し、翌年二科展に『タスコの祭日』ほかを出品して会員となる。第二次世界大戦後は、創造美育協会の創立に参加。第6回現代日本美術展に『哺育(ほいく)』を出品して優秀賞を受ける。力強く明快な具象作風を示し、版画作品も多い。著書『絵をかく子どもたち』ほか。

[小倉忠夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北川民次」の解説

北川民次 きたがわ-たみじ

1894-1989 大正-昭和時代の洋画家。
明治27年1月17日生まれ。大正2年渡米,ジョン=スローンに師事。革命後のメキシコで,壁画運動と児童画教育にたずさわる。昭和11年帰国,二科展に「タスコの祭日」を出品。39年「哺育」で現代日本美術展優秀賞。一貫して民衆生活を力づよい構成でえがいた。平成元年4月26日死去。95歳。静岡県出身。早大中退。著作に「絵を描く子供たち」など。

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367日誕生日大事典 「北川民次」の解説

北川 民次 (きたがわ たみじ)

生年月日:1894年1月17日
大正時代;昭和時代の洋画家;児童画教育者。二科会会長
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の北川民次の言及

【美術教育】より

…その後,軍国主義化が進行し図画は〈国民的情操ノ陶冶ニ資スルモノ〉として,皇国民育成のための国民学校芸能科図画にとって代わられた。 以上のような第2次大戦前および戦時中の国家主義的な教育に対し,戦後,久保貞次郎や北川民次らによって,子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(協会設立は1952年5月)が展開された。これはチゼックや山本鼎の思想をうけつぐもので,教師やおとなの権威,干渉,指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張した。…

※「北川民次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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