久慈東郡(読み)くじとうぐん

日本歴史地名大系 「久慈東郡」の解説

久慈東郡
くじとうぐん

中世の俗称郡名。古代の久慈郡から一二世紀前半に佐都さと東西両郡および久慈西郡とともに分立したと推定される。郡域は山田川と久慈川の合流点以北の久慈川東岸地帯。弘安大田文には「久慈東三百八十丁二段半」とみえる。

平安末期には佐竹氏勢力下にあったが、治承四年(一一八〇)佐竹の乱の後、南家流藤原氏の二階堂行村に与えられたと推定される。それは元亨三年(一三二三)九月二三日の関東下知状写(水府志料所収文書)によると、郡内の加志かし(現那珂郡大宮町富岡)が鎌倉中期には行村の曾孫二階堂義賢の所領であったこと、二階堂氏は鎌倉幕府政所の重職を代々勤め上げた御家人であり、治承四年の佐竹氏の旧領の分与が頼朝側近の有力御家人に郡単位で行われたことからみて推定しうる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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