日本歴史地名大系 「久永御厨」の解説 久永御厨くえのみくりや 鳥取県:東伯郡大栄町久永御厨現大栄町から倉吉市にわたる由良(ゆら)川下流域にあったと考えられる。東伯町上伊勢(かみいせ)にかつて上伊勢大神宮と称された方見(かたみ)神社があり、隣接する同町中尾(なかお)に「くえ」の地名が残ることから、この地域を中心としたとの説もある。「吉記」承安四年(一一七四)八月一八日条に「久永御厨」とみえ、後白河院に当御厨からの訴えが奏上されている。訴えられたのは若狭国の在庁時永で、国司が陳状を送っている(同書同年九月一八日条)。伊勢内宮の御厨となったのは長寛年中(一一六三―六五)で、以後度々国司より租税を免除されたという(建久三年八月日「伊勢大神宮神領注文」神宮雑書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by