丹後局(読み)タンゴノツボネ

デジタル大辞泉 「丹後局」の意味・読み・例文・類語

たんご‐の‐つぼね【丹後局】

[?~1216]鎌倉初期、後白河法皇寵姫ちょうき本名高階栄子たかしなえいし法皇没後、その娘宣陽門院に譲られた所領長講堂領)を背景院政の陰の実力者として力をふるった。

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精選版 日本国語大辞典 「丹後局」の意味・読み・例文・類語

たんご‐の‐つぼね【丹後局】

  1. たかしなえいし(高階栄子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹後局」の意味・わかりやすい解説

丹後局
たんごのつぼね
(?―1216)

鎌倉初期の政治家。実名高階栄子(たかしなえいし)。法印澄雲(ちょううん)の女(むすめ)。後白河(ごしらかわ)法皇の近臣平業房(なりふさ)の妻。夫の死後法皇に仕え、丹後局と称し、法皇の寵愛(ちょうあい)を得た。1181年(養和1)法皇との間に覲子(きんし)(宣陽門院(せんようもんいん))が生まれた。92年(建久3)に法皇が没したが、その遺領として宣陽門院に譲られた長講堂(ちょうこうどう)領は、100か所以上の膨大な荘園(しょうえん)群で、丹後局は、女(むすめ)宣陽門院とこの大所領とを背景にして、京都政界の中心として活躍。宣陽門院の院司源通親(みちちか)と結び、96年(建久7)親幕派であった政敵九条兼実(くじょうかねざね)を失脚させた。しかし通親没(1202)後は昔日のおもかげを失い、京都東山(ひがしやま)の浄土寺に隠れ住んだ。

[田辺久子]

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改訂新版 世界大百科事典 「丹後局」の意味・わかりやすい解説

丹後局 (たんごのつぼね)

高階栄子(たかしなえいし)

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百科事典マイペディア 「丹後局」の意味・わかりやすい解説

丹後局【たんごのつぼね】

高階栄子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹後局」の意味・わかりやすい解説

丹後局
たんごのつぼね

高階栄子」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の丹後局の言及

【高階氏】より

…かの藤原通憲入道信西も一時は高階氏の養子となり,養家の姓を称して朝廷に出仕している。後白河院の寵妃として有名な丹後局高階栄子も一族の出身である。また後世略して高(こう)氏を称したものもあり,足利尊氏の執事高師直とその一族はとくに有名である。…

【高階栄子】より

…母を建春門院平滋子の乳母若狭局(平政子)とする説もある。はじめ法皇の近臣平業房に嫁したが,1179年(治承3)平清盛のクーデタによって業房が伊豆に配流されることになると,まもなく鳥羽殿に幽閉中の法皇に仕えて丹後局と称し,81年(養和1)には法皇の皇女覲子(きんし)を生んだ。やがて京都政界に隠然たる勢力を築き,〈近日の朝務,ひとえに彼の脣吻(しんぷん)にあり〉と評された(《玉葉》)。…

※「丹後局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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