日本歴史地名大系 「久江村」の解説
久江村
くえむら
内浦街道に沿って南は
大永六年(一五二六)一〇月書写の気多社年貢米銭納帳(気多神社文書)によれば、「久江」の百姓中から一宮気多社へ進納される一貫三八〇文をさとう次郎が請負っていた。天正五年(一五七七)一一月一日の免田指出案(気多大宮司家文書)によれば、久江村より神官方への進納分一〇貫文は畠山旧臣の神保殿の分となっており、衆徒方に進納する一〇貫文は二月神事(おいで祭)料であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報