コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

園田道閑 そのだ どうかん

2件 の用語解説(園田道閑の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

園田道閑 そのだ-どうかん

1626-1668* 江戸時代前期の庄屋。
寛永3年生まれ。加賀金沢藩の知行地鹿島半郡(はんごおり)の十村(とむら)頭(大庄屋(おおじょうや))。寛文5年領主長連頼(ちょう-つらより)の検地にさからった在地給人浦野孫右衛門らに同調,反対運動をおこなった。藩の介入で浦野一党の断罪のあと7年12月16日磔(はりつけ)となった。42歳。能登(のと)(石川県)出身。通称は万平。
【格言など】おいたわしや,とこやちの道閑様は,七十五村の身代りに(臼摺(うすすり)歌)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

園田道閑

没年:寛文7.12.16(1668.1.29)
生年:寛永3(1626)
江戸時代前期の義民。加賀(金沢)藩長家領鹿島半郡の十村頭(大庄屋)。寛文5(1665)年,在地給人浦野孫右衛門一党らが起こした長連頼の検地施行反対運動に同調して,他の十村らと共に藩庁に出訴,処罰された。特に道閑は十村頭であったため,同7年12月16日にその息子3人らと共に磔刑になった。のち,検地反対で犠牲になったことから村民の同情が高まって祠が建てられ,臼摺歌(労働歌)にまで「おいたわしや,とこやちの道閑様は,七十五村の身代りに」と思慕された。文化14(1817)年の百五十回忌には能登部村(鹿島郡鹿西町)長楽寺に墓が建てられ,昭和42(1967)年の三百回忌には「義民道閑顕彰碑」と道閑公園が造られた。

(吉武佳一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

園田道閑の関連キーワード秋の坊勝木永清兼巻(3代)清光(3)清光(4)桑村盛勝桑村盛弘桑村盛良月嘯虎白宗吉

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone