朝日日本歴史人物事典 「園田道閑」の解説
園田道閑
生年:寛永3(1626)
江戸時代前期の義民。加賀(金沢)藩長家領鹿島半郡の十村頭(大庄屋)。寛文5(1665)年,在地給人浦野孫右衛門一党らが起こした長連頼の検地施行反対運動に同調して,他の十村らと共に藩庁に出訴,処罰された。特に道閑は十村頭であったため,同7年12月16日にその息子3人らと共に磔刑になった。のち,検地反対で犠牲になったことから村民の同情が高まって祠が建てられ,臼摺歌(労働歌)にまで「おいたわしや,とこやちの道閑様は,七十五村の身代りに」と思慕された。文化14(1817)年の百五十回忌には能登部村(鹿島郡鹿西町)長楽寺に墓が建てられ,昭和42(1967)年の三百回忌には「義民道閑顕彰碑」と道閑公園が造られた。
(吉武佳一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報