江戸参府(読み)えどさんぷ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

江戸参府
えどさんぷ

江戸時代に,長崎のオランダ東インド会社の商館長が江戸に上り,将軍に拝謁し貿易の礼を述べ,献上物を呈する行事で,慶長 14 (1609) 年に始った (→オランダ商館 ) 。しかし毎年参府するようになったのは,寛永 10 (33) 年からで,以後中止されたこともあったが嘉永3 (1850) 年までに 116回を数えた。寛政2 (1790) 年以降は5年に1回となり,幕末に近いほど回数も減っている。長崎と江戸の間を普通は 90日前後かかって道中し,初めは正月に,のちには3月朔日に将軍に拝礼することになっていた。商館長はこの旅行を Hofreise (宮廷への旅行) と呼び,その日記を必ずつけて本国に送ったので,日本事情は毎年海外に伝わった。またこの任務を終えたオランダ人一行を,当時の蘭学者が室町の旅館長崎屋に訪れるならわしがあり,このことは,蘭学発達のうえで大きな力となった。

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大辞林 第三版の解説

えどさんぷ【江戸参府】

江戸時代、長崎の出島(初め平戸)にあったオランダ商館長の一行が、江戸に上り将軍に拝謁して貿易許可の礼を述べ献上物を贈った行事。

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世界大百科事典内の江戸参府の言及

【江戸幕府】より

…国土の繁栄に関係があると当時は一般的に考えられていた宗教と呪術を支配する朝廷や寺社に対しては,幕府は〈禁中並公家諸法度〉や〈諸宗寺院法度〉によって天皇と公家,神官,僧侶が宗教的生活を全うし祈禱や儀式をしきたりどおり行うことを要求した。鎖国は貿易管理の意義もあるが,それ以上に在来の宗教,文化とあまりにも異質なキリスト教文明の侵入により幕府の支配の根底がくずされることを防ぐものであり,琉球,朝鮮,オランダ人などの江戸参府の行列は幕府の統治能力を沿道の貴賤に示すデモンストレーションであった。 次に大名に対しては,〈武家諸法度〉などによって参勤と妻子を江戸に住まわせることを強制し,また城をかってに修理することを禁止するなど,規定以上に武力を蓄えることを防止した。…

※「江戸参府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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