久礼城跡(読み)くれじようあと

日本歴史地名大系 「久礼城跡」の解説

久礼城跡
くれじようあと

[現在地名]中土佐町久礼

しろ山とよばれる標高一〇三・五メートルの山上にあり、本丸・二ノ丸・三ノ丸の跡と天水井戸が残る。本丸跡は中折れ矩形の平坦地で、長さ約七〇メートル、幅は最も広い所で二一メートルある。周囲に土塁をめぐらし、各所に土止めのための石積みがみられ、城八幡・若宮八幡を祀る佐竹さたけ神社がある。

築城年代は不明だが、佐竹義通が築城、義辰・義之・義直・親辰の五代にわたる居城と考えられる。佐竹氏の久礼来住は鎌倉時代後期と推測される。暦応二年(一三三九)一一月二四日付の細川定禅軍勢催促状(蠧簡集拾遺)によれば、南北朝時代は細川氏に属し、北朝にくみして津野氏・三宮氏らと大高坂おおだかさ(現高知市)などを攻めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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