日本歴史地名大系 「久礼城跡」の解説
久礼城跡
くれじようあと
[現在地名]中土佐町久礼
築城年代は不明だが、佐竹義通が築城、義辰・義之・義直・親辰の五代にわたる居城と考えられる。佐竹氏の久礼来住は鎌倉時代後期と推測される。暦応二年(一三三九)一一月二四日付の細川定禅軍勢催促状(蠧簡集拾遺)によれば、南北朝時代は細川氏に属し、北朝にくみして津野氏・三宮氏らと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
築城年代は不明だが、佐竹義通が築城、義辰・義之・義直・親辰の五代にわたる居城と考えられる。佐竹氏の久礼来住は鎌倉時代後期と推測される。暦応二年(一三三九)一一月二四日付の細川定禅軍勢催促状(蠧簡集拾遺)によれば、南北朝時代は細川氏に属し、北朝にくみして津野氏・三宮氏らと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...