国指定史跡ガイド 「久米官衙遺跡群」の解説
くめかんがいせきぐん【久米官衙遺跡群】
愛媛県松山市来住町にある官衙跡。指定名称は「久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡(くめかんがいせき) 来住廃寺跡(きしはいじあと)」。来住廃寺跡は、松山平野東部の来住台地に立地し、塔基壇の高まりと礎石や石製露盤が残されていたことなどから、白鳳(はくほう)時代に造営された古代寺院跡として、1979年(昭和54)に国の史跡に指定された。その後の調査により、周辺から来住廃寺に先行する回廊状遺構など、7世紀前半の遺構群が発見されて注目を集め、2005年(平成17)に久米官衙遺跡が追加指定を受け、あわせて名称変更された。官衙関連遺跡は東西約500m、南北約400mの範囲に回廊状遺構、その北側の区画、正倉遺構、官衙政庁施設などの遺構が分布することが判明。発掘調査の成果から、この遺跡は7世紀中葉ごろには長大な建物区画や回廊状遺構が造営され、これらの基準線となる1町(約109m)方格の地割りも施行されたと推定。遺跡群の北西部からは久米評(こおり)銘の須恵器(すえき)が出土していることから、郡衙に先行する前身の久米評衙などの初期官衙に関連する遺跡を含み、回廊状遺構の廃絶後に来住廃寺が整備され、8世紀代に正倉が拡充されたと考えられている。伊予鉄道横河原線久米駅から徒歩約15分。