律令制下における中央官衙,国郡,駅家,寺院などに設けられた公的な収蔵施設の総称。形状による分類では,高倉,長倉(横倉),円倉,双倉(ならびぐら),屋,倉下,倉代などがあり,側壁の構造や材質による分類では,校倉(あぜくら)とみられる甲倉や格倉,丸木倉,板倉,塗壁屋,土倉などがあげられる。諸国の正倉のほとんどは穀物倉であったが,収納物によって不動穀倉,動穀倉,穎稲倉,糒倉,粟倉などと分類される。そのほか中心的な役割を担った大型の法倉と称される倉や,正倉に準じて利用された借倉,借屋と呼ばれるものもある。全体の構造は湿気を避け,重量に耐える必要から大部分は総柱高床式であったが,屋,倉下,倉代は低床の建物で板敷のないものもあったとみられる。屋根は瓦葺き,檜皮葺き,草葺き,板葺きなどがある。また礎石の有無によって掘立柱建物と礎石建物に分けられるが,8世紀前半では一部の重要な倉以外は掘立柱建物で,8世紀後半ころから礎石建物倉庫が増える傾向にある。正倉の多くは数棟ずつ縦・横に整然と配置されており,〈東第壱板倉〉といった位置関係を示す名称が付されていた。まとめて建造されることが多く,一郭(群)が正倉院とされることもある。中央では大蔵省の調庸物を納める正倉(蔵)をはじめ多くの倉が存在したが,具体的なことはわからない。それに対し,諸国の正倉については文献史料に比較的めぐまれ発掘例も増えつつあり,かなり詳しく知ることができる。
諸国の正倉はほとんどが正税を収納しており郡別の種類別数値,規模,利用状況などが天平期の正税帳に記載されているが,それによると一郡平均の正倉数は10~数十棟にも及んでいた。大部分は穀倉,穎倉でしめられ,糒倉,粟倉は少なかった。正倉の規模は10m2程度のものから100m2を超える大型のものまで幅が広く,地域や時代によってさまざまであった。また正倉の種類と収納物との間には一定の関係があり,丸木倉や屋には稲穂のまま束ねられた穎稲が収納されている割合が高く,モミ状にした穀は板倉,甲倉などに収納される割合が高い。これらの穀倉は一種の穀櫃としての機能をもち,倉の内法面積にばら積みにされた穀の積高を掛ければ収納量がわかるしくみになっている。全体的な傾向としては規模の小さい丸木倉がもっとも古い形式で,甲倉がそれにつぎ,続いて板倉が多くなるとみられ,時代が下るとともに平均的な規模は大きくなる傾向にある。倉の管理は厳重でとくに不動穀倉にその傾向が強く,鑰(かぎ)が中央で管理されていた時期もあった。内容物の管理も厳しく検税使などを派遣して収納物の欠損の状況などを検閲した。これらの正倉は一地域に相接して並んで建造されている例が多く,政府は火事にそなえて791年(延暦10)以降は,新しく造る倉は10丈以上離すように指導したがあまり守られなかったようである。8世紀後半以降,東国を中心に正倉に放火して神火(じんか)により消失と称するケースが頻繁に起きるが,その多くは管理する立場にある国郡司らが収納物を着服したことを隠したり,競争相手を失脚させるためにしくんだものであった。律令制の衰退とともに平安時代の末期以降は正倉の語はほとんど用いられなくなった。
→倉 →正税
執筆者:舟尾 好正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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律令制下,主として各国の正税を収納し,国司の管理下にあった倉。本来は大税(たいぜい)を収納する倉の称であったが,734年(天平6)の官稲混合によって地方官稲が正税として一本化されると,正税収納の倉の称となった。正倉は郡ごとにおかれ,発掘調査でも倉の発見は郡衙遺構と判断する重要な指標となっている(郡内に分置する例もある)。正倉には,収納物により不動穀倉(不動倉)・動用穀倉(動用倉・動倉)・穎稲(えいとう)倉・粟倉・糒(ほしいい)倉・義倉・塩倉など,壁面の構造により甲倉(校倉(あぜくら))・板倉・土倉・丸木倉などの区別がある。高床とするのが一般的で,床下を穎稲などの収納場所として利用する倉下(くらした)もある。なお寺院の主要な倉も正倉とよび,東大寺の正倉院はその一例。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…各国にあって備荒のみを目的とする貯穀としては,大宝令によって,戸の貧富に応じてアワなどの穀物を規定量徴収するように定められた義倉や,759年(天平宝字3)諸国の運脚(調・庸を都まで徒歩で運ぶ人夫)の飢えをいやすために諸国に設置された常平倉(じようへいそう)の制などがあったが,その機能する範囲は小さく,むしろ各国の財源たる正税の方が一般的に機能した。正税を蓄える正倉には,平常の公出挙などに用いる動倉と非常用の不動倉があり,後者は国郡司が被害実態を申告して,太政官の命によって開く定めであった。飢饉がはなはだしくその国の正税ではかなわないときは,隣国の正税を転用したこともある。…
…8~9世紀の郡家の構成を知る史料は少なく,律令国家の衰退した11世紀中ごろの《上野国交替実録帳》がまとまった史料として有名。それによれば,郡家は,郡庁,館,厨家(くりや),正倉の四つの部分から構成される。郡庁は郡司が政務をとる政庁で,庁屋を中心に向屋,副屋,公文屋の4棟の建物があり,館屋,宿屋,納屋,厨,厩などが付属する場合もある。…
…〈庫〉とも書かれる。構造の違いから高倉,板倉,校倉(あぜくら),丸木倉,石倉,土蔵(どぞう),穴蔵などがあり,管理や用途によって正倉,勅封蔵,郷蔵,米蔵,酒蔵,木蔵など,さまざまな名称がある。16世紀後半以降,防火のため,外側を土で厚く塗り込める形式が多く用いられるようになった。…
※「正倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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