来住廃寺跡(読み)きしはいじあと

日本歴史地名大系 「来住廃寺跡」の解説

来住廃寺跡
きしはいじあと

[現在地名]松山市来住町 北来住

松山市の南部、古くから久米くめといわれた地域のうち平坦部に属し、小野おの川とその北部の支流との間に挟まれた微高地を占める。北接して来住高畑きしたかはた弥生遺跡があり、東南にも弥生前期の土器出土地がある。当廃寺跡の一部には現在長隆ちようりゆう寺が建っている。黄檗宗。興福山と号し、本尊薬師如来境内は五七九坪余、本堂庫裏・観音堂・地蔵堂などがある。

長隆寺の本堂の部分に講堂跡(東西三〇メートル、南北一六メートル)があり、また西回廊(南北八二メートル)、塔礎とその中心礎石が残っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「来住廃寺跡」の解説

きしはいじあと【来住廃寺跡】


久米官衙遺跡群(くめかんがいせきぐん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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