新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「久米民之助」の解説 久米 民之助クメ タミノスケ 肩書衆院議員(無所属) 生年月日文久1年8月(1861年) 出身地上野国利根郡沼田町(群馬県) 学歴工部大学校〔明治17年〕卒 経歴皇居御造営事務局御用掛を経て、工部大学教授となった。その後大倉組に入り、佐世保鎮守府の建設工事を担当。次いで満韓起業株式会社取締役に転じ、土木建築界視察のため東洋、欧米を巡遊。帰国後工事測量、設計、監督、鑑定など土木建築業に従事した。また第5回総選挙以来代議士当選4回。 没年月日昭和6年5月25日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久米民之助」の解説 久米民之助 くめ-たみのすけ 1861-1931 明治-大正時代の土木技術者,政治家。文久元年8月27日生まれ。久米権九郎(ごんくろう)の父。明治17年皇居御造営事務局御用掛となり,二重橋などの築造にあたる。19年大倉組商会にうつり,佐世保鎮守府の軍港開削工事を担当。31年衆議院議員(当選4回)。昭和6年5月24日死去。71歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。工部大学校(東大工学部の前身)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by