久能城跡(読み)くのうじようあと

日本歴史地名大系 「久能城跡」の解説

久能城跡
くのうじようあと

[現在地名]静岡市根古屋

久能山にあった城郭。久能山城・久能寺城ともいい、久野城とも書く。久能山には久能寺があったが、要害の地として軍陣に利用された。正平六年(一三五一)一一月日の伊達景宗軍忠状(駿河伊達文書)によると、足利直義方の中賀野氏らは同月一六日駿府から「久能寺城」に引籠っている。天文五年(一五三六)五月二五日、今川氏親の後継者争いに際し、玄広恵探方の福島党は駿府から久能に引籠った(高白斎記)。永禄一一年(一五六八)一二月一二日、駿河に侵攻した武田信玄は、ゆわら弥兵衛の進言で久能山に陣をはったという(甲陽軍鑑・家忠日記増補追加・北条記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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