久野庄太郎(読み)クノ ショウタロウ

20世紀日本人名事典 「久野庄太郎」の解説

久野 庄太郎
クノ ショウタロウ

昭和期の農民 元・愛知用水建設期成会幹事長。



生年
明治33(1900)年11月25日

没年
平成9(1997)年4月8日

出身地
愛知県知多市

主な受賞名〔年〕
中日文化賞(第14回)〔昭和26年〕

経歴
農家の4人兄弟の長男として生まれる。土地改良や農法改良を実行。昭和19、22年愛知県知多地方を襲った大干ばつを契機に、愛知用水建設を提唱、23年愛知用水開発期成会を発足。30年愛知用水公団が設立され、36年には愛知用水が完成した。一方、遺体を解剖実習に提供する献体グループ不老会を設立、理事長を務めた。用水建設の技術を生かした三祐コンサルタンツ社の会長もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久野庄太郎」の解説

久野庄太郎 くの-しょうたろう

1900-1997 昭和時代の農業用水企画者。
明治33年11月15日生まれ。愛知県知多半島の農民。同半島の水不足解消のため木曾川からの用水路開削を計画。愛知用水開発期成会をつくり,愛知用水公団によって昭和36年に完成された愛知用水の建設につくした。のち三祐コンサルタンツの会長となり,アジア,アフリカに技術提供をおこなう。平成9年4月8日死去。96歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の久野庄太郎の言及

【愛知用水】より

…1961完成)を水源とし,中流の岐阜県八百津町兼山から取水して,尾張丘陵から知多半島一帯に農業,工業,上水道用水を供給する。灌漑用河川に恵まれない丘陵地のため干ばつに悩まされてきた知多半島に木曾川の水をひくという知多市の篤農家久野庄太郎らの長年の夢が政府に取りあげられ,1951年に農林省直轄調査事業となり,55年には愛知用水公団が設けられた。建設資金の一部は世界銀行から借り入れ,57年に着工,61年に完成した。…

※「久野庄太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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