ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(2008-02-19 朝日新聞 朝刊 愛知全県 2地方)
出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
岐阜県南部から愛知県の知多(ちた)半島の先端に及ぶ大用水路。中部地方を流れる木曽川(きそがわ)の水を有効に活用し、大規模な農業開発を行うとともに、電力開発、上水道用水および工業用水の補給を目的としてつくられた。王滝川(おうたきがわ)(木曽川の支流)の牧尾ダム(まきおだむ)(長野県王滝村)に貯水し、必要に応じて木曽川に放流し、岐阜県八百津町(やおつちょう)にある兼山(かねやま)取水口から取水し、尾張(おわり)丘陵を経て、知多半島南端に達する。また、半島突端部から口径75ミリメートル、4600メートルの海底送水管を敷き、篠(しの)島、日間賀(ひまか)島、佐久(さく)島にも広域簡易水道事業によって給水された。幹線112キロメートル、支線延長1012キロメートル。総工費423億円。施行者は愛知用水公団で、1955年(昭和30)10月に設立された。1961年9月完成、工業用水は1961年12月から、上水道は1962年1月から、農業用水は1962年10月から通水した。建設資金は世界銀行(国際復興開発銀行)からの融資、技術提供をアメリカの会社(エリック・フロア社)から受け、最新の土木機械を使って進められた。これは後の豊川(とよがわ)用水にも大いに役だった。発想と事業推進の功労者は、久野庄太郎(くのしょうたろう)(知多市)と浜島辰雄(はまじまたつお)(当時、安城農林学校の教員)である。用水公団は、1968年水資源開発公団と統合(2003年独立行政法人水資源機構に移行)、その中部支社となった。
当初は、農業用水のみの計画であったが、都市用水、工業用水など多目的利用となった。用水の利用区分は、2010年(平成22)には工業用水54%、農業用水20%、上水道用水26%で、工業用水が過半を占めている。一方、農業用水の灌漑(かんがい)面積は約1万ヘクタール、うち畑地灌漑面積は約1500ヘクタールで、当初計画からみると32%にとどまっている。元来これら受益地である尾張丘陵、知多半島は乏水性地域で、とくに知多半島は約1万3000余の大小溜池(ためいけ)によって、かろうじて農業を営んできた所である。愛知用水は乏水性を解消し、溜池をつぶして農地化するのが目的であったが、多くの溜池をつぶしたことは、その後の水害激化をもたらしたことは否定できない。工業用水の増加は、用水完成直前に名古屋市南部臨海工業地帯が造成され、用水沿線の水需要量が増加したためで、それに伴う人口増加で生活用水も需要増となった。一方、王滝発電所、下流15の発電所では出力が増強された。また、極度の水不足に苦しんでいた知多半島岬端(こうたん)の南知多町師崎(もろざき)をはじめとして離島の篠島、日間賀島、佐久島など3島では水不足も解消し、水産加工、観光開発が容易になった。
その後、1981年度から2004年度(平成16)まで、水需要量の増大に対応するため、阿木(あぎ)川ダム、味噌(みそ)川ダム建設や、諸設備の拡充などの第二期事業が行われた。
[伊藤郷平]
『酒井正三郎編著『愛知用水と地域開発』(1967・東洋経済新報社)』▽『愛知用水公団・愛知県編・刊『愛知用水史』全2冊(1968)』▽『NHKプロジェクトX制作班編『プロジェクトX挑戦者たち15 技術者魂よ、永遠なれ』(2002・日本放送出版協会)』
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
《「ロジ」は「ロジスティクス」の略。「後方支援担当」の意》日本の外務省で、国際会議などの舞台裏の庶務担当者をいう。政府首脳の外国訪問の際の宿舎、乗り物の手配なども担当する。...
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新