木曾川水系の水資源を高度に利用して、岐阜県から名古屋市東方の平野およびこれに続く知多半島一帯を総合的に開発することを目的とし、昭和三六年(一九六一)完成した用水。幹線水路は岐阜県
主要水源は、兼山取水口上流で木曾川に入る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岐阜県南部から愛知県の知多(ちた)半島の先端に及ぶ大用水路。中部地方を流れる木曽川(きそがわ)の水を有効に活用し、大規模な農業開発を行うとともに、電力開発、上水道用水および工業用水の補給を目的としてつくられた。王滝川(おうたきがわ)(木曽川の支流)の牧尾ダム(まきおだむ)(長野県王滝村)に貯水し、必要に応じて木曽川に放流し、岐阜県八百津町(やおつちょう)にある兼山(かねやま)取水口から取水し、尾張(おわり)丘陵を経て、知多半島南端に達する。また、半島突端部から口径75ミリメートル、4600メートルの海底送水管を敷き、篠(しの)島、日間賀(ひまか)島、佐久(さく)島にも広域簡易水道事業によって給水された。幹線112キロメートル、支線延長1012キロメートル。総工費423億円。施行者は愛知用水公団で、1955年(昭和30)10月に設立された。1961年9月完成、工業用水は1961年12月から、上水道は1962年1月から、農業用水は1962年10月から通水した。建設資金は世界銀行(国際復興開発銀行)からの融資、技術提供をアメリカの会社(エリック・フロア社)から受け、最新の土木機械を使って進められた。これは後の豊川(とよがわ)用水にも大いに役だった。発想と事業推進の功労者は、久野庄太郎(くのしょうたろう)(知多市)と浜島辰雄(はまじまたつお)(当時、安城農林学校の教員)である。用水公団は、1968年水資源開発公団と統合(2003年独立行政法人水資源機構に移行)、その中部支社となった。
当初は、農業用水のみの計画であったが、都市用水、工業用水など多目的利用となった。用水の利用区分は、2010年(平成22)には工業用水54%、農業用水20%、上水道用水26%で、工業用水が過半を占めている。一方、農業用水の灌漑(かんがい)面積は約1万ヘクタール、うち畑地灌漑面積は約1500ヘクタールで、当初計画からみると32%にとどまっている。元来これら受益地である尾張丘陵、知多半島は乏水性地域で、とくに知多半島は約1万3000余の大小溜池(ためいけ)によって、かろうじて農業を営んできた所である。愛知用水は乏水性を解消し、溜池をつぶして農地化するのが目的であったが、多くの溜池をつぶしたことは、その後の水害激化をもたらしたことは否定できない。工業用水の増加は、用水完成直前に名古屋市南部臨海工業地帯が造成され、用水沿線の水需要量が増加したためで、それに伴う人口増加で生活用水も需要増となった。一方、王滝発電所、下流15の発電所では出力が増強された。また、極度の水不足に苦しんでいた知多半島岬端(こうたん)の南知多町師崎(もろざき)をはじめとして離島の篠島、日間賀島、佐久島など3島では水不足も解消し、水産加工、観光開発が容易になった。
その後、1981年度から2004年度(平成16)まで、水需要量の増大に対応するため、阿木(あぎ)川ダム、味噌(みそ)川ダム建設や、諸設備の拡充などの第二期事業が行われた。
[伊藤郷平]
『酒井正三郎編著『愛知用水と地域開発』(1967・東洋経済新報社)』▽『愛知用水公団・愛知県編・刊『愛知用水史』全2冊(1968)』▽『NHKプロジェクトX制作班編『プロジェクトX挑戦者たち15 技術者魂よ、永遠なれ』(2002・日本放送出版協会)』
木曾川の水を濃尾平野東部の尾張丘陵と知多半島へ送る多目的用水。木曾川上流御嶽(おんたけ)山麓に建設した牧尾ダム(長野県王滝村,木曾町の旧三岳村。1961完成)を水源とし,中流の岐阜県八百津町兼山から取水して,尾張丘陵から知多半島一帯に農業,工業,上水道用水を供給する。灌漑用河川に恵まれない丘陵地のため干ばつに悩まされてきた知多半島に木曾川の水をひくという知多市の篤農家久野庄太郎らの長年の夢が政府に取りあげられ,1951年に農林省直轄調査事業となり,55年には愛知用水公団が設けられた。建設資金の一部は世界銀行から借り入れ,57年に着工,61年に完成した。断続的に連なる丘陵,台地を通るため幹線水路(112.7km)のうち開水路は57.8%にとどまり,トンネル,サイフォン,暗渠が多い。支線水路は総計1000kmをこえ,知多半島先端の師崎(もろざき)から佐久島,日間賀島,篠島へは海底送水管が付設されている。農業用水利用を第一としてスタートしたが,65年には工業用水に首位を譲り,以後工業,上水道用水としての性格を強めてきた。93年には総供給水量4億2600万t中工業用水59%,上水道用水23%,農業用水18%になっている。こうした変化は,愛知用水が工業化,都市化が急激に進んだ高度経済成長期に完成したことと関係が深い。春日井市,小牧市の工業化が進み,新規造成の名古屋市南部の臨海工業地帯への給水,地盤沈下問題をおこしていた既存の名古屋南部工業地帯の地下水から愛知用水への切替えなど,工業用水利用が高まった。また名古屋市郊外地域の住宅地化に伴う上水道用水の需要も増えている。逆に農業用水は多額な負担金制度,都市化の波による農地転用,兼業化による農業経営者の減少などが原因となって,利用率は低下していった。1981年に愛知用水2期事業が開始されてから,牧尾ダム堆砂対策,用水路・貯水池の改修などの工事が進められてきている。
執筆者:溝口 常俊
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愛知県濃尾平野南東部から知多半島丘陵地帯の灌漑を目的として木曾川上流から引いた人工用水路。幹線水路112km。1950年(昭和25)公布の国土総合開発法で木曾特定地域の指定をうけ,世界銀行からの借款とアメリカからの見返り資金によって愛知用水公団が事業を開始した。57年着工,61年に完成し,約30万km2の耕地が潤ったほか,上水道・工業用水・発電など多目的に利用されている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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