乗竹孝太郎(読み)ノリタケ コウタロウ

20世紀日本人名事典 「乗竹孝太郎」の解説

乗竹 孝太郎
ノリタケ コウタロウ

明治期の経済評論家 東京経済雑誌社社長。



生年
万延1年8月15日(1860年)

没年
明治42(1909)年1月5日

出生地
但馬国出石(兵庫県)

別名
号=粛堂

経歴
16歳で上京し、尺振八の共立学舎で英語を学び、修業後同塾助教となる。明治12年田口卯吉の東京経済雑誌社の創立に参加し、「東京経済雑誌」の編集や欧米雑誌の翻訳に当たる。また嚶鳴社に入って民権論を提唱した。21年から横浜正金銀行に勤務したが、38年田口の死により東京経済雑誌社社長に就任、さかんに自由貿易論を主張した。著書に「粛堂遺稿」(全4巻)、訳書スペンサー「社会学原理」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「乗竹孝太郎」の解説

乗竹孝太郎

没年:明治42.1.5(1909)
生年:万延1(1860)
明治時代の経済評論家。但馬(兵庫県)出石藩士の家に生まれる。号は粛堂。16歳で上京し,尺振八の共立学舎で英学を学び,同塾の助教となる。明治12(1879)年,田口卯吉が『東京経済雑誌』を創刊する際入社し,雑誌の編集や欧米経済雑誌の翻訳に当たる。また,田口の関係から嚶鳴社に参加し,自由主義的政治,経済論を唱えた。21年から横浜正金銀行に勤務したが,38年田口卯吉が死去したため東京経済雑誌社に復帰し,社長を務めた。明治中・末期の自由主義経済論の指導的評論家である。<著作>『粛堂遺稿』全4巻

(有山輝雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「乗竹孝太郎」の解説

乗竹孝太郎 のりたけ-こうたろう

1860-1909 明治時代の経済評論家。
万延元年8月15日生まれ。尺振八(せき-しんぱち)の共立学舎で英語をまなぶ。明治12年田口卯吉(うきち)の東京経済雑誌社にはいり,38年社長。自由貿易論を主張し,また嚶鳴(おうめい)社に参加して民権論をとなえた。明治42年1月5日死去。50歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android