日本歴史地名大系 「九日町村」の解説 九日町村ここのかまちむら 新潟県:南魚沼郡大和町九日町村[現在地名]大和町九日町芹田(せりだ)村の南、東は魚野(うおの)川対岸の今町(いままち)新田、南は今町村、西・北は名木沢(なぎさわ)村。枝村の猫道(ねこどう)・鉢岡(はちおか)(八岡)が西に続く。地内の水田には地字堀之内(ほりのうち)・館の下(たてのした)・屋敷田(やしきだ)・政所(まんどころ)・給田道(きゆうでんみち)・筆免(ふでめん)・紙買免(かみかいめん)・との下(した)・屋(や)かた・下館(しもだて)・紙絹田(かみきぬだ)・高棹名(たかさおみよう)・かふつくり・かしせん・城山(じようやま)・古屋敷(ふるやしき)などの地名が残り、中世の土豪の居館の存在を物語る。紙絹田のように紙や絹を扱う者や、かしせんのように金融に携わる者の存在もうかがわれ、村名も三斎市の名残とみられる。文禄四年(一五九五)七月の藪上庄市ノ江・一村尾検地帳(豊野文書)には、九日町の地名の付いた耕作者が九人いる。 九日町村ここのかまちむら 秋田県:由利郡矢島町九日町村[現在地名]矢島町元町(もとまち) 九日町子吉(こよし)川の旧氾濫原上にあり、東は郷内(ごうない)村、西は須郷田(すごうだ)村に接する。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡之内知行高帳(秋田県庁蔵)に二〇三石一斗八升とあり、翌年の出羽一国絵図では一八一石とある。元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡仙北郡之内生駒主殿同権之助知行高辻帳(秋田県庁蔵)には、正保と同高が記され、宝暦六年(一七五六)の御領分中覚書(矢島町史)では、本田二〇六石九升二合、新田二〇石九斗七升、家数三〇軒、人数一二九人とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報