…この様式は九谷諸窯で行われ,その伝統は今日まで続いている。吉田屋窯は1831年(天保2)に廃窯となるが,九谷諸窯では飯田屋八郎右衛門,粟生屋源右衛門,九谷庄三(しようざ)(1816‐83)などの名工が輩出し,幕末から明治への政治変革期の混乱にも影響をうけず,さらに活況を呈した。華やかな金襴手や青九谷が輸出用として焼かれ,明治20年代には日本の輸出磁器としては有田をこえて第1位となり,その名を世界に広めている。…
…町域中央部に能美古墳群があり,近世末以降は九谷焼の町として発展した。明治期には〈庄三(しようざ)風〉といわれた名工九谷庄三(1816‐83)の窯を中心に輸出向けの量産が始められ,〈寺井の九谷焼〉として全国に知られている。毎年5月3~5日には九谷茶碗祭が行われる。…
※「九谷庄三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...