亀崎新田
かめざきしんでん
[現在地名]川越町亀崎新田
町屋川(員弁川)の南岸から朝明川の北岸にかけての海岸一帯につくられた新田で、桑名藩領。文化三年(一八〇六)の豊崎新田細見画図(「山中文書」四日市市立図書館蔵)によれば、員弁川河口南岸、海に面して豊崎新田。その北西町屋川沿いが亀尾新田。亀崎新田はこの時期、北亀崎・南亀崎に分れており、北亀崎は亀尾新田の南、豊崎新田の西に、南亀崎は豊崎新田の南、海に面してある。元文三年(一七三八)五月日の亀崎新田御証文(同館蔵)によれば、尾張藩の木村惣右衛門・佐野次郎右衛門・伊藤喜兵衛、伊勢国上野村服部勘左衛門の四名が「福崎下外野町屋川ヨリ南江朝明川北之方迄、浜表高砂通之内側ニ新堤を築立、新堤之外幅五拾間通堤為要害被下置候様」に願出、以下の条件で行われた町人請負新田である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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