日本歴史地名大系 「豊崎新田」の解説 豊崎新田とよざきしんでん 三重県:三重郡川越町豊崎新田[現在地名]川越町亀尾(かめお)新田町屋(まちや)川(員弁川)の河口南岸にあり、桑名藩領。文化三年(一八〇六)の豊崎新田細見画図(「山中文書」四日市市立図書館蔵)によれば、北西には亀尾(かめお)新田、西および南は亀崎(かめざき)新田、東は海。天明四年(一七八四)一一月の南福崎(みなみふくさき)村片山又次郎が桑名藩郡方代官所に出した新田開発願(同館蔵)によれば「浜表亀尾新田下ヨリ亀崎新田下迄、草野之所田畑拾町歩程汐除堤築廻シ、御新田ニ仕度」とあり、これが豊崎新田になったと考えられる。開発の条件は、(一)天明五年より八ヵ年は鍬下、その後は免一ツ八分とし、定納の外諸役は免除、(二)新田堤の要害として堤の外に三〇間の新田付の地を給されること、(三)開発の冥加金として五〇両を新田完成時に上納する、などである。 豊崎新田とよさきしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村豊崎新田[現在地名]木曾岬村三崎(みさき)白鷺(はくろ)川の北岸、西に福崎(ふくさき)新田、東に川先(かわさき)新田がある。元禄一〇年(一六九七)に開発されたが、福崎新田と同じく正徳四年(一七一四)の大風雨で亡所となり、宝暦二年(一七五二)内田与四郎・加藤太左衛門などにより再開発された(木曾岬村史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by