日本歴史地名大系 「亀穴村」の解説 亀穴村かめあなむら 愛知県:額田郡額田町亀穴村[現在地名]額田町宮崎(みやざき)村域南部を男(おと)川が東北より西南方向に流れ、集落は男川右岸に立地。東は石原(いしはら)村、西は木下(きぐたし)村・明見(みようけん)村、北は千万町(ぜまんぢよう)村と各々山で接し、南は男川で対岸の中金(なかがね)村と境する。中世、男川(おとがわ)庄宮崎郷に属し、中世末期は作手(つくで)領主奥平氏領になる。村内の亀穴城跡、別名滝山(たきやま)城跡に残る碑に「永禄年間奥平貞勝及信昌之に居り後久しく山家三方交番之を守る」と伝えるので、永禄年間(一五五八―七〇)の築城とみられる。滝山城は、「三河国聞書」(国立公文書館蔵)によれば、天正二年(一五七四)「奥平貞能父子与甲州兵戦ハ設楽郡田原坂、放火嶋田村貞能退作手城、入宮崎滝山城」とある。また奥平氏家譜(生田家文書)に長篠(ながしの)(現南設楽郡鳳来町)城主の奥平定包は武田方として軍勢を滝山城に案内したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by