日本歴史地名大系 「二ッ屋新田」の解説 二ッ屋新田ふたつやしんでん 東京都:足立区二ッ屋新田[現在地名]足立区青井(あおい)一―六丁目など保木間(ほきま)村の枝郷で、同村の南東方に位置する。見沼代(みぬまだい)用水八条道添(はちじようみちぞい)堀が西部を流れる。織田旧臣の平田家・若菜家が開発したと伝える。元禄郷帳に保木間村の枝郷と注記されて村名がみえ、高三六石余。元禄一〇年(一六九七)の保木間村検地帳(江戸東京博物館蔵)には字二ッ家として記載され、耕地を合計すると七町八反余、うち田五町余・畑屋敷二町八反余。 二ッ屋新田ふたつやしんでん 静岡県:裾野市二ッ屋新田[現在地名]裾野市二ッ屋平松(ひらまつ)新田の西に位置し、西側を黄瀬(きせ)川が南流する。近世初期に南隣の伊豆島田(いずしまだ)村から分れた新田村で、寛永改高附帳には「長左衛門・四郎左衛門新田」とみえる。長左衛門家と四郎左衛門家の二軒が村の草分けで、そのことが村名の由来と思われる。なお両家の祖菅沼家は須山(すやま)から下ってきたとの伝承がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by