西の
現在、羽黒山頂に霊祭殿があるが、これは本来羽黒山が祖霊の集まる場(端山)であったことを示し、羽黒という名称も端(羽)山と黒森山とに由来するものであろう。このような性格をもつ羽黒山をのち仏教がとり込んでいき、やがて羽黒山
寂光寺とは一山の総称で、永禄三年(一五六〇)書写の「羽黒山睡中問答並縁記」によれば
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山形県北西部、出羽山地(でわさんち)西部の丘陵性の山頂一帯をさす。標高414メートル。鶴岡市(つるおかし)と東田川郡庄内町(しょうないまち)にまたがる。新第三紀の泥岩、頁(けつ)岩からなり、南部では月山(がっさん)の泥流がのる。西側の祓(はらい)川、東側の立谷(たちや)川の谷が丘陵を深く刻み、南北に長い地塊状を呈す。月山、湯殿山(ゆどのさん)とともに出羽三山と称し、古くから羽黒修験(しゅげん)の霊場として繁栄してきた。山頂付近に出羽(いでは)神社が鎮座し、月山神社、湯殿山神社をあわせた三神合祭殿(鐘楼とともに国指定重要文化財)がある。広大な境内には国宝の五重塔、羽黒山修験本宗の本山荒沢寺(こうたくじ)など神仏習合時代の名残(なごり)をとどめる建造物や旧跡が多い。また、推定樹齢1000年を超えるといわれる国指定天然記念物の爺スギ、国の重要文化財の梵鐘(ぼんしょう)、山頂鏡池出土の銅鏡(国指定重要文化財)などを収めた出羽三山歴史博物館もある。西麓(せいろく)の手向(とうげ)は羽黒山の門前集落で、重要文化財の正善院黄金(こがね)堂があり、現在も40近い宿坊が軒を連ねる。手向からの表参道は約1.7キロメートル、樹齢300~500年の特別天然記念物のスギ並木が続くなかを約2500段の石段を登って山頂に至る。手向から山頂までの有料道路もあり、さらに山頂から月山八合目までの自動車道路が通じ、夏季は定期観光バスが運行される。磐梯(ばんだい)朝日国立公園の一部で、南麓にはスキー場や休暇村、温泉などがある。
[中川 重]
『『出羽三山・葉山』(1975・山形県総合学術調査会)』
山形県北西部の山。標高414m。鶴岡市に属する。月山(がつさん),湯殿山とともに出羽三山とよばれる。月山の北麓にあたり,新第三紀層の基盤上に月山の泥流が乗りあげた丘陵で,山頂には出羽三山を合祀する出羽神社がある。平安時代末期から鎌倉時代にかけて羽黒修験(羽黒派)の拠点として栄えた。伝承によれば,羽黒山を開いたのは崇峻天皇の子蜂子皇子(能除太子)で,役行者(えんのぎようじや)が中興したといい,山名も皇子を導いた3本脚の烏にちなむというが,このような伝承は,羽黒開山が,修験の祖といわれる役行者よりも古いことを主張するためにいいだされたことと考えられる。羽黒山全域に及ぶ広大な社地内には,五重塔,鐘楼,霊祭殿,斎館などがあり,神仏習合時代のなごりをとどめる。山麓にある門前町手向(とうげ)から山頂までの約1.7kmは2446段の石段の参道で,両側には樹齢300~500年の杉並木(特天)が続いている。山頂へは手向から有料道路が通じる。南麓の峰中堂付近は第2次大戦後に羽黒開拓地となったが,立地条件が厳しいため下山する者が多く,1976年には国民休暇村が開設された。
執筆者:五百沢 智也
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…山形県のほぼ中央部,朝日山地の北端部に位置する月山(がつさん)(1979.5m),湯殿山(1500m),羽黒山(436m)の三山をあわせていう。月山と湯殿山は近接しているが,羽黒山は両山の北約20kmに位置する。…
…〈いではじんじゃ〉ともいう。山形県東田川郡羽黒町,羽黒山上に鎮座。旧国幣小社。…
…修験道の一派。山形県の羽黒山を本山とする。崇峻天皇の子の蜂子(はちす)皇子を開祖と称し,苦行性と古態を残すことで知られる。…
※「羽黒山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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