日本歴史地名大系 「二井山村」の解説
二井山村
にいやまむら
雄物川の西方、北流する
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三一四石とあり、享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に新山村を二井山村に改めるとある。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳では当高四二二石余、うち蔵分三二石余、給分三九〇石余。戸数の変遷は享保一五年は五四軒(六郡郡邑記)、「秋田風土記」では六二軒。枝郷について「六郡郡邑記」は「水沢村家数七軒 西矢島領由利郡老形村の内にカマカ代村の山と御領キハタ山と長根通水落次第峯にて境、明暦元年新山村より勘左ヱ門、与惣右ヱ門と申者引移村居始る、境田村同一軒 上溝村との境、田地字村名とす。
二井山村
にいやまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報