二又一号墳(読み)ふたまたいちごうふん

日本歴史地名大系 「二又一号墳」の解説

二又一号墳
ふたまたいちごうふん

[現在地名]上石津町牧田 二又

南宮なんぐう(四一九・二メートル)の南麓、牧田まきだ川の北岸に立地する二又古墳群のなかで最大の規模をもつ円墳。直径一五メートル、高さ四メートルで、葺石をめぐらす。主体部は南西方向に開口する横穴式石室で全長六・五メートル、玄室の長さ四・七メートル、奥壁幅二メートル、羨道部長さ一・八メートル、幅七〇センチ、片袖式に属する。石室の内部には全面に赤色顔料が塗布されており、当墳の特色をなしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の二又一号墳の言及

【岐阜[市]】より

…岐阜県南西部にある県庁所在都市。1889年市制。人口40万7134(1995)。中心市街地は濃尾平野北部,長良川の扇状地の扇頂部に位置し,戦国時代斎藤道三が金華山(稲葉山)に城を築き,その城下町から発達した。1567年(永禄10)織田信長が斎藤氏を亡ぼして入城し,それまで井ノ口と称していた町を岐阜と改め,職人,商人を集めて城下町を繁栄させた。織田氏が亡びて城は中山道宿場の加納に移され,江戸時代の岐阜は尾張藩領の町人の町として再出発し,また谷口集落として長良川の舟運による物資の集散地の機能を果たした。…

※「二又一号墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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