二宮堀
にのみやぼり
嘉永六年(一八五三)から着手された日光仕法で、荒地の起返しや新規開田のための用水路(田用水・生活用水)工事は日光領全体で約九〇ヵ所に及ぶ。おもなものに板穴川の原宿用水(慶応三年)、大谷川の轟用水(安政二年・文久元年)と和泉・平ヶ崎・千本木三ヵ村用水(安政元年)、田川の瀬川用水(安政二年)、板橋用水(安政三年)などがあり、二宮堀とよばれる。このうち安政元年(一八五四)の和泉・平ヶ崎・千本木の三ヵ村用水が通常二宮堀の名で知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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