平ヶ崎村(読み)へがさきむら

日本歴史地名大系 「平ヶ崎村」の解説

平ヶ崎村
へがさきむら

[現在地名]今津町日置前ひおきまえ

三谷みたに村の東にあり、東はかつら村。天正一一年(一五八三)八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)に「平崎かまへ」と「同村」があり、「同村」が平崎をさすと思われ、高一四二石余。寛永石高帳に高六二七石余とあり、この高はかまえ村の高を含んでいる。慶安高辻帳では田方五二五石余・畑方一〇二石余。元禄郷帳に「平ケ崎構村」とあり、同高で越前鞠山藩領。天明村高帳で二村に分れ、高四四七石余。「高島郡誌」によれば、文久元年(一八六一)幕府領、慶応元年(一八六五)陸奥会津藩領とある。明治一二年(一八七九)三谷村・伊井いい村と合併して日置前村となる。


平ヶ崎村
ひらがさきむら

[現在地名]今市市平ヶ崎

都賀つが郡に属し、北方川、南境をなめ川が南東へ流れる山地にある。東は今市宿、北は瀬川せがわ村。元和六年(一六二〇)徳川秀忠から東照大権現社領として寄進された村のうちに平ヶ崎村一五八石がある(「東照宮領目録」日光山御宮方書物之写)。慶安郷帳では畑高一五三石。文政六年(一八二三)の村明細帳(根本満雄文書)によれば田三反余・畑五八町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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