板橋(読み)いたばし

精選版 日本国語大辞典 「板橋」の意味・読み・例文・類語

いた‐ばし【板橋】

[1] 〘名〙 板で作ってある橋。
※夫木(1310頃)一六「谷の戸のあくるもふかき霧のうちに霜をわたせるまきのいたばし〈藤原為家〉」
[2] 東京都二三区の一つ。中山道の旧宿場町。神事芸能の田遊びが演じられる北野神社諏訪神社がある。昭和七年(一九三二区制。同二二年練馬区を分離。

ばん‐きょう ‥ケウ【板橋】

〘名〙 (「はんきょう」とも) 板で造った橋。いたばし。
※松井本太平記(14C後)四「馬蹄に板橋の霜を蹈破す」 〔韋応物‐往雲門郊居塗経廻流詩〕

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デジタル大辞泉 「板橋」の意味・読み・例文・類語

いたばし【板橋】

東京都北部の区名。中山道なかせんどうの第一の宿、板橋宿から発展。神事芸能の田遊びが演じられる北野神社・諏訪神社がある。昭和22年(1947)練馬区を分区。人口53.5万(2010)。

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日本歴史地名大系 「板橋」の解説

板橋
いたばし

石神井しやくじい川の中流両岸に比定される平安末期からの地名。延慶本「平家物語」によると、治承四年(一一八〇)九月下総国より鎌倉へ向かう源頼朝が、墨田川を越えて「武蔵国豊島の上滝野川の板橋」に着陣し、兵を整えている。なお異本では「松橋」とあることから、これを現北区滝野川たきのがわ松橋まつはし弁天付近とする説もある。中世の豊島氏は豊島・王子おうじ平塚ひらつか(現北区)を拠点として、石神井川に沿って勢力を伸張した。現板橋区氷川ひかわ町にある氷川神社の縁起によると、元久三年(一二〇六)に豊島経泰が同社を勧請しており、この時に豊島氏が板橋を領していたことがうかがえる。金輪寺本豊島家系図によると、豊島一族が分出する過程で板橋氏が現出したとされ、少なくとも一四世紀後半から戦国期に至るまで当地を豊島氏出身の板橋氏が領有していたと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「板橋」の意味・わかりやすい解説

板橋 (いたばし)

東京都北西部の地名。地名の起りは,台地から流れ出る石神井(しやくじい)川に,江戸と川越とをつなぐ古道がわたるのに架した板の橋にある,と伝える。延慶本《平家物語》に〈武蔵国豊嶋ノ滝野川ノ板橋ト云所ニ陣ヲ取ル〉とあるのが記録類での初出である。中世中期以後,豊島氏一族の板橋氏が板橋城に拠って板橋を領した。その子孫らしい人名が熊野那智山の文書や《小田原衆所領役帳》に見える。近世になって宿駅制度が定められると,中山道の第1の宿として板橋宿が置かれ,中心部に問屋場,貫目改所,高札場,本陣などの施設が設けられた。全盛期における宿内旅籠(はたご)の数は54,宿の総延長15町49間(約1.7km)であった。古代以来武蔵国北豊島郡に属したが,1871年(明治4)廃藩置県後は東京府に属し,78年北豊島郡が置かれる際郡役所がこの地に設けられた。89年町村制による町村分合の結果,板橋町,上板橋村などが誕生した。鉄道開通とともに宿駅の繁栄は一挙に失われたが,1876年板橋宿東部の旧加賀藩邸内に設けられた陸軍火薬製造所が軍需産業として興隆し,しだいに活気をとり戻した(1882年に板橋火薬製造所と改称)。1932年東京市の拡大にともない,旧豊島郡9ヵ町村の区域に板橋区が置かれた。面積81km2,人口11万,大東京35区中最大の広さであった。47年その一部が練馬区として分離し,50年埼玉県戸田町の一部を編入して現在に至る。その間軍需景気の波に乗り工業生産が増大し,戦後一時衰えたものの,50年代後半からは機械・金属を中心に一大工業地区を形成している。北部の荒川沿岸の徳丸ヶ原は1790年(寛政2)ごろから幕府の鉄砲演習場となり,のち大砲演習も行われたが,明治以後は水田地帯であったのを,1966年以後公団高島平団地としてマンモス団地が建設された。
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普及版 字通 「板橋」の読み・字形・画数・意味

【板橋】ばんきよう(けう)

板ばし。唐・温庭〔商山早行〕詩 聲、店(ばうてん)の 人迹、板橋の霜

字通「板」の項目を見る

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「板橋」の意味・わかりやすい解説

板橋
ばんきょう / パンチヤオ

台湾北部、台北市の南西に隣接する小都市。台北県の県政府所在地。淡水(たんすい)河と新店渓(しんてんけい)とが合流する地点に位置する。旧称は枋橋(ほうきょう)で、1920年板橋と改称した。清(しん)代における台湾北部最大の豪族林維源(りんいげん)家の広大な邸宅が市中にあり、古風な伝統建築と林家花園があることで知られる。野菜栽培や園芸農業が盛んで、工場も多く、台北大都市圏の拡大発展により、その圏内に組み込まれ都市化が著しい。

[劉 進 慶]

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事典・日本の観光資源 「板橋」の解説

板橋

(東京都板橋区)
中山道六十九次」指定の観光名所。

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