日本歴史地名大系 「二軒在家村」の解説 二軒在家村にけんざいけむら 群馬県:碓氷郡松井田町二軒在家村[現在地名]松井田町二軒在家烏留(からすどまり)村の南東にあり、碓氷川右岸段丘上に位置する。段丘上を貫流する柳瀬(やなぎせ)川の水量が少ないために桑園を中心とする畑地帯となっている。わずかに柳瀬川沿いに開かれた水田もしばしば干害を受けた。上中原(かみなかはら)・東寺久保(ひがしでらくぼ)・北久保(きたくぼ)に終末期と考えられる古墳各一基がある。碓氷郡に属し、寛文郷帳では田方一五七石余・畑方五九四石余(田方・畑方とも水旱両損)、旗本河田領。 二軒在家村にけんざいけむら 埼玉県:川口市二軒在家村[現在地名]川口市朝日(あさひ)四―六丁目など樋爪(ひのつめ)村の北東に位置し、平坦な村。田園簿に村名がみえず、古くは樋爪村の内にあったと思われる。元禄郷帳によると同村枝郷として二軒在家村とみえ、高一七九石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領で、以後幕末まで変わらなかった(改革組合取調書など)。芝(しば)川左岸の樋爪村の内と前田(まえだ)村(現鳩ヶ谷市)の内に飛地がある。 二軒在家村にけんざいけむら 群馬県:山田郡大間々町二軒在家村[現在地名]大間々町桐原(きりばら)大間々村・桐原村の北方、渡良瀬川右岸に位置。対岸北は塩原(しおばら)村・浅原(あさばら)村、東は高津戸(たかつど)村。承応三年(一六五四)桐原村から分村したという(郡村誌)。寛文郷帳では高三九石余で畑方のみ、館林藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by