桐原村(読み)とげむら

日本歴史地名大系 「桐原村」の解説

桐原村
とげむら

[現在地名]安佐北区可部かべ町桐原

東の押手おしで山と白木しらき山の間に発して西流し、下町屋しもまちや村の高松たかまつ山北麓で根谷ねのたに川と合流する桐原川と、その北側に平行する谷の流域に開ける山村で、北東は大林おおばやし村、北西は下町屋村である。往古は「戸毛」と書いたというが(芸藩通志)、すでに嘉禎元年(一二三五)一一月一二日の安芸三入庄地頭得分田畠等配分注文(熊谷家文書)に「桐原 七反半」とみえる。この注文には「山田一丁二反小」「小山田新田一反小」などと村内の地名も並列に記されている。


桐原村
きりはらむら

[現在地名]松本市入山辺 桐原

松本城下の東方約六キロの山辺谷の北側、すすき川の右岸台地から山辺山の南斜面にあり、南に薄川を隔てて橋倉はしくら村がある。西方は里山辺の金井さとやまべのかない兎川寺とせんじ・薄町の各村に接し、西方に松本城下町をのぞむ。海岸寺かいがんじ沢を境に東桐原・西桐原と分れるが行政的区画ではない。

桐原の初見は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の年貢未済の荘園のうちに桐原庄がある。

天正検地の際は桐原村五六一石四斗二升、「信府統記」によると「御朱印高五百六拾一石四斗二升」とあり、享保九年(一七二四)の石高は六〇八石一斗九升四合三勺である。


桐原村
きりばらむら

[現在地名]大間々町桐原

大間々村の西の一段高い段丘上に位置し、北は二軒在家にけんざいけ村、西は勢多せた奥沢おくざわ(現新里村)、南は新川につかわ(現同上)。「和名抄」東急本の佐位さい郡の名橋なはし郷に「有桐原形」と注されているが、「形」は村あるいは牧の書誤りで当地をさすという説がある。文禄年間(一五九二―九六)に大間々村を分郷、承応三年(一六五四)二軒在家村を分村したという。

承応三年の年貢割付状(粕川文書)に上桐原村とみえ、高四一石余、取水一二貫余。


桐原村
きりはらむら

[現在地名]長野市大字古野ふるの

吉田よしだ村の西南にあり、東は中越なかごえ、西は三輪みわ村、南はそりめ村、北は宇木うき村・吉田村と北国脇往還で境する。

村名の初見は、応永一一年(一四〇四)一二月の市河氏貞軍忠状(市河文書)に、「大将細河兵庫助殿奥郡御発向時、桐原・若槻・下芋河之要害責落」とみえ、諏訪御符礼之古書(守矢文書)文明三年(一四七一)の条に、「桐原 惟宗忠国」とあり、同書の文明八年の条に、御符差定状の宛書に桐原村と書したことがみえ、古くから郷村として成立していた。慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に、「三百六拾三石弐斗弐升九合 桐原村」とあって、村高が確定した。


桐原村
きりはらむら

[現在地名]紀宝町桐原

神内こうのうち村の北西、相野谷おのだに川の上流の小盆地にある。切原とも記された。中世は相野おうの(大野)庄の内であり、新宮の熊野速玉くまのはやたま大社の神領地であったと考えられる(紀伊続風土記)。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「三里之内桐原村」と記される。近世初期の家数三三(「新宮藩御勘定方旧記」和歌山県史近世史料編)。入鹿組に属する。延宝五年(一六七七)西北部の上桐原かみきりはら集落は、石高を分けて新宮水野氏知行地となり上桐原村となる。上桐原村の近世後期の家数二九(紀州新宮領分見聞記)。下桐原は和歌山本藩領として残った。


桐原村
きりはらむら

[現在地名]米沢市六郷町桐原ろくごうまちきりはら

東江股ひがしえまた村の西に位置し、鬼面おもの川西岸の湧水地帯に立地。地内に延文六年(一三六一)年紀の板碑がある。永正一二年(一五一五)一一月一六日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によれば、上長井「きり原の郷」のうち原田与四郎より買地の佐藤九郎在家一宇を山路藤七に安堵している。天文七年(一五三八)の段銭古帳によれば桐原から一九貫五五〇文を納めている。


桐原村
きりはらむら

[現在地名]上越市桐原

いち村の東に位置し中江なかえ用水が流れる。天正一五年(一五八七)と推定される四月二八日の本願寺顕如印判状、文禄元年(一五九二)と推定される一二月一七日の本願寺教如印判状(いずれも本覚坊文書)などに村名がみえ、当時当地には真宗門徒の講があったことが知られる。文禄頃の頸城郡絵図に「岩藤分春養坊分切原村 中」とみえ、本納一一二石四斗一升九合七勺・縄高二九七石七斗一升七勺、家一二軒・四二人。正保国絵図によると高三〇三石余。天和三年郷帳では高四四五石九斗余。


桐原村
きりわらむら

[現在地名]矢部町城原じようばる

西はとどろき村、北ははた村に接し、蛇行する五老ごろうたき(轟川)の南岸に集落がある。正平九年(一三五四)八月一三日の肥後矢部郷村注文(阿蘇家文書)に「きりはら」とみえ、貫高は五貫八〇〇文。慶長国絵図に村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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