日本歴史地名大系 「五丁目」の解説
五丁目
ごちようめ
南北に通る
平安京の条坊では、町の西側が左京二条四坊二保六町東、東側が左京二条四坊三保一一町西。平安中期以降は
平安時代には、当町は、白河法皇の居処であった大炊御門万里小路殿の敷地(殿暦・中右記)。
室町時代には、応永三二年(一四二五)一一月一〇日付酒屋交名(北野天満宮史料)に「大炊御門万里小路南西頬 上総祐憲」とみえる。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「柳馬場五丁目」とあり、筆描図系では以降変化はないが、木版図系では承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図・寛文五年(一六六五)刊「京雀」・延宝六年(一六七八)刊「京雀跡追」・元禄九年(一六九六)京大絵図等は「かなもり町」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報