五井藩陣屋跡(読み)ごいはんじんやあと

日本歴史地名大系 「五井藩陣屋跡」の解説

五井藩陣屋跡
ごいはんじんやあと

[現在地名]市原市五井

五井藩主有馬氏の陣屋跡。天明元年(一七八一)有馬氏恕市原郡五井村に居所を設け(寛政重修諸家譜)柳前やなぎまえの一町四方の敷地を土手堀が囲み、居館のほか地方役所・武家屋敷・稲荷社があったとされる(「市原郡誌」など)。領知高は一万石で、伊勢国三重みえ郡・多気たけ郡・河曲かわわ郡、下野芳賀はが郡・河内かわち郡、および市原郡にわたっていた。市原郡内の九村のうち六村は陣屋に近い諸村であるが、ほかは散在する。武家屋敷が設けられたとはいえ、定府大名のため通常藩士は陣屋預・地方役人などがいるくらいで、常駐代官は五井村の新藤・中島両家を大名主として領内を管轄させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む