井上秀(読み)イノウエ ヒデ

20世紀日本人名事典 「井上秀」の解説

井上 秀
イノウエ ヒデ

明治〜昭和期の家政学者,教育家 元・日本女子大学校長。



生年
明治8年1月6日(1875年)

没年
昭和38(1963)年7月19日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
日本女子大学校家政学部〔明治37年〕卒,シカゴ大学博士課程修了

主な受賞名〔年〕
勲五等瑞宝章〔昭和15年〕,藍綬褒章〔昭和36年〕,勲四等宝冠章〔昭和38年〕

経歴
明治28年結婚、長女誕生後、日本女子大を出て37年4月桜楓会発足とともに幹事長となった。38年同女子大付属高等女学校教諭。41年渡米、コロンビア師範大学で家政学、42年シカゴ大学で社会学、経済学などを学び欧州を回って43年帰国、母校教授に。大正11年日本婦人平和協会理事長に就任ワシントンの世界婦人軍縮会議に出席。12年「婦人の眼に映じたる世界の新潮流」を発刊。昭和6年同大学校長、7年桜楓会会長となった。戦後公職追放、26年同校理事、評議員として復帰、27年財団法人大日本女子社会教育会会長、31年小田原女子短期大学学長に就任した。著書に「家庭経済提要」「家事教育育児提要」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上秀」の解説

井上秀 いのうえ-ひで

1875-1963 明治-昭和時代の家政学者,教育家。
明治8年1月6日生まれ。長女出産後,日本女子大学校に入学。卒業後欧米に留学。明治43年母校の教授となり,昭和6年校長。成瀬仁蔵とともに日本の家政学の確立につとめた。大正11年日本婦人平和協会理事長。昭和38年7月19日死去。88歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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