成瀬仁蔵(読み)ナルセジンゾウ

デジタル大辞泉 「成瀬仁蔵」の意味・読み・例文・類語

なるせ‐じんぞう〔‐ジンザウ〕【成瀬仁蔵】

[1858~1919]教育家山口の生まれ。米国に留学して女子教育を研究。帰国後、明治34年(1901)日本女子大学校創立

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精選版 日本国語大辞典 「成瀬仁蔵」の意味・読み・例文・類語

なるせ‐じんぞう【成瀬仁蔵】

  1. 教育家。山口県出身。キリスト教の信仰に導かれて受洗。アメリカのアンドバー神学校、クラーク大学に学び、明治二七年(一八九四)帰朝、大阪梅花女学校長となる。同三四年に日本女子大学校を創立、女子高等教育に貢献した。安政五~大正八年(一八五八‐一九一九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「成瀬仁蔵」の意味・わかりやすい解説

成瀬仁蔵
なるせじんぞう
(1858―1919)

女子教育者。日本女子大学校(現、日本女子大学)創立者。安政(あんせい)5年6月23日長州吉敷(よしき)藩士の家に生まれる。藩学憲章館を経て1876年(明治9)山口県教員養成所を卒業、小学校訓導となる。翌1877年同郷の沢山保羅(さわやまぽうろ)(1852―1887)と相知り大阪浪花(なにわ)教会で受洗、梅花女学校教師となり、郡山(こおりやま)教会、新潟教会牧師として伝道に従事。1886年新潟女学校を設立して校長となる。1890年女子教育研究のためアメリカに留学、アンドバー神学院、クラーク大学に学び、帰国後、梅花高等女学校校長となる。1896年辞職、女子高等普通教育の必要を力説して女子大学校設立計画を発表、政財界有力者の後援を得て1900年(明治33)日本女子大学校を設立、没年まで校長として女子高等教育の発展に尽力した。彼の教育理念は、女子を「人として」「婦人として」「国民として」教育するというもので、普通教育主義、良妻賢母主義、明治的ナショナリズムの結合したものであった。主著は『女子教育』(1896)のほか『成瀬仁蔵著作集』3巻(1981)がある。大正8年3月4日没。

[小股憲明]

『仁科節編『成瀬先生伝』(1928・桜楓会出版部/1989・大空社)』


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朝日日本歴史人物事典 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬仁蔵

没年:大正8.3.4(1919)
生年:安政5.6.23(1858.8.2)
明治大正期の教育家,社会改良家。周防(山口県)吉敷に,吉敷毛利藩士成瀬小左衛門,歌子の長男として生まれる。藩校吉敷憲章館に学ぶ。8歳で母を,17歳で父と弟を失う。山口県教員養成所を卒業し,小学校長などを務める。同郷の沢山保羅によりキリスト教に入信し,明治10(1877)年大阪浪花教会で受洗,梅花女学校(梅花女子大)の主任教師となり女子教育への第一歩を印した。のち奈良の郡山教会,新潟の新潟教会の初代牧師を務め,その間に新潟女学校を設立,北越学館創立にも関係した。飛躍を志して23年渡米。アンドバー神学校,クラーク大学で社会学,教育学などを研究し,大学や社会施設を視察して27年帰国。一時,梅花女学校長となるが,『女子教育』を出版し女子高等教育の必要性を訴えて奔走。34年,日本女子大学校を創立,人格教育を重視し自発性を尊重する教育を進め生涯学習を主張した。その実践として同窓会(桜楓会)を組織し出版や通信教育などを通じて社会活動を行う。一方,45年には渋沢栄一,姉崎正治らと帰一協会を設立。国内外の思想,宗教の調和を企て,翌年にかけて欧米を巡った。帰国後教育調査会,臨時教育会議の委員ともなり,社会的にも活躍した。肝臓癌にかかり,死を前に告別講演を行って,その教育理念を信念徹底・自発創生・共同奉仕の三綱領として書き遺した。<著作>『成瀬仁蔵著作集』全3巻<参考文献>仁科節編『成瀬先生伝』

(中嶌邦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「成瀬仁蔵」の意味・わかりやすい解説

成瀬仁蔵 (なるせじんぞう)
生没年:1858-1919(安政5-大正8)

日本女子大学校(日本女子大学の前身)の創設者。山口県出身。1876年山口県教員養成所を卒業,県下の初等教育に従事したが,77年大阪でキリスト教に入信,プロテスタント主義の梅花女学校の創設に参加,78年教頭として女子教育に第一歩をふみだした。その後,女子教育の本格的研究とあわせて宗教心探求のため,90-94年アメリカのアンドバー神学校,クラーク大学に留学,留学中に女子高等教育機関設立の構想をふくらませた。帰国後,一時梅花女学校校長となるが,キリスト教にとらわれない女子高等教育機関設立に奔走。1901年,〈人間として,婦人として,国民として〉女子を教育する高等普通教育機関として,東京目白台に家政,国文,英文の3学部および英文予科をおく日本女子大学校を設立した。以後,没するまで一貫して校長として校務に従事,日本の女子高等教育の発展に貢献した。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬 仁蔵
ナルセ ジンゾウ

明治・大正期の教育家 日本女子大学創立者。



生年
安政5年6月23日(1858年)

没年
大正8(1919)年3月4日

出生地
周防国吉敷村(山口県)

学歴〔年〕
山口県教員養成所〔明治9年〕卒

経歴
小学校長などを務めた後、明治10年キリスト教に入信、大阪で洗礼を受ける。11年大阪梅花女学校教師となるが、15年辞職。牧師として布教活動に従事し、その間、22年新潟女学校、北越学館を設立。23年アメリカに留学し、女子教育を研究、27年帰国して梅花女学校(現・梅花女子大学)校長に就任、雑誌「女子教育」を創刊するなど女子教育に尽力した。34年日本女子大学を創設し、長く同学長をつとめた。人格教育を重視した生涯学習を提唱した。大正元年再び欧米に渡航、帰国後、2年教育調査委員会委員、6年臨時教育会議委員として女子教育の発展に尽くした。「成瀬仁蔵著作集」(全3巻)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「成瀬仁蔵」の意味・わかりやすい解説

成瀬仁蔵
なるせじんぞう

[生]安政5 (1858).6.23. 周防,吉敷
[没]1919.3.4. 東京
明治期の女子教育の先覚者。吉敷藩校憲章館を経て山口県教員養成所に入り,1876年小学師範科を卒業,小学校訓導となった。翌 1877年沢山保羅の感化でキリスト教に入信。大阪で梅花女学校(→梅花女子大学)教師を務めたのち,奈良や新潟で伝道活動に従事した。1890年女子教育研究のため渡米,アンドーバー神学院,クラーク大学に学び 1894年帰国。1901年政財界の支援を得て日本女子大学校(→日本女子大学)を開設し,以後没するまで校長として同校の発展に努めた。「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」を教育の三大綱領とし,優良堅実な家庭婦人の育成をはかるなど,日本の女子高等教育の発展に貢献した。主著『女子教育』(1896),『新時代の教育』(1914),『新婦人訓』(1916)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬仁蔵
なるせじんぞう

1858.6.23~1919.3.4

明治・大正期の女子高等教育推進者。周防国生れ。山口県教員養成所卒。1877年(明治10)大阪で受洗。翌年同地に梅花女学校を設立,校長となる。89年新潟に女学校を設立。翌年アメリカに渡り,アンドーバー神学校・クラーク大学に留学。94年帰国,再び梅花高等女学校長となる。女子高等教育機関の必要性を提唱。1901年日本女子大学校(現,日本女子大学)を設立。女性の知性向上のために尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬仁蔵 なるせ-じんぞう

1858-1919 明治-大正時代の教育者。
安政5年6月23日生まれ。大阪でキリスト教に入信。女子高等教育の必要性を説き,大阪の梅花女学校の主任教師となる。アメリカ留学後,明治34年日本女子大学校を創立。大正8年3月4日死去。62歳。周防(すおう)(山口県)出身。山口県教員養成所卒。名は「にぞう」ともよむ。
【格言など】信念徹底・自発創生・共同奉仕(危篤の病床で教育三標語を揮亳(きごう))

成瀬仁蔵 なるせ-にぞう

なるせ-じんぞう

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旺文社日本史事典 三訂版 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬仁蔵
なるせじんぞう

1858〜1919
明治・大正時代の教育家
周防(山口県)の生まれ。山口県教員養成所卒。キリスト教を信仰。1890年アメリカに留学し,'94年帰国後,1901年東京目白に日本女子大学校を創立。女子教育に一生をささげた。

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367日誕生日大事典 「成瀬仁蔵」の解説

成瀬 仁蔵 (なるせ じんぞう)

生年月日:1858年6月23日
明治時代;大正時代の教育家
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の成瀬仁蔵の言及

【日本女子大学】より

…東京都文京区目白台にある私立女子大学。その前身は,成瀬仁蔵が女子を〈人間として,婦人として,国民として〉育成することを目的に,〈信念徹底〉〈自発創生〉〈共同奉仕〉の三大綱領を教育方針として,1901年に創設した日本女子大学校である。高度の普通教育を中心にした本格的な女子高等教育機関の発足として,その女子教育史上における意義は大きい。…

※「成瀬仁蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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