日本歴史地名大系 「井寺村」の解説 井寺村いてらむら 熊本県:上益城郡嘉島町井寺村[現在地名]嘉島町井寺東は小池(こいけ)村(現益城町)、西は下六嘉(しもろつか)村と接し、西境を矢(や)(屋)形(かた)川が流れる。慶長国絵図に村名がみえ、近世は鯰手永に属した。正保郷帳では田一七〇石余・畠二六五石九斗余。「国誌」に「小迫ト云小村アリ」とあり、文政二年(一八一九)の鯰手永略手鑑では高九二六石八斗余である。明治一五年(一八八二)の戸数一三〇、男三〇九・女三一四、馬八四、荷船一、水車二、同一四年の民業戸数は農業一二二・大工職四・水車職二・造酒職一(郡村誌)。字上官塚の井寺原(じようかんづかのいてらばる)と称される丘陵上に、ともに直径約六メートル・高さ約二メートルの二基の円墳からなる上官塚古墳がある。周辺に墳丘は確認されないが遠見塚(とおみづか)・石塚(いしづか)などの字名が残ることから、かつては上官塚とともに古墳群をなしていたと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by