井栗村(読み)いぐりむら

日本歴史地名大系 「井栗村」の解説

井栗村
いぐりむら

[現在地名]三条市井栗

西潟にしかた村の西にあり、北は北野きたの新田と接する。南方上保内かみほない村から流れる布施谷ふせだに川と籠場かごば村からの五十嵐いからし川旧河道の交差する地域に開けた集落である。村内の乙郷おとごうからは平安時代の土師器須恵器が出土している。当地を「和名抄」記載の勇礼いくれ郷の地に比定する説もある。室町後期の蒲原郡段銭帳(米沢市立図書館蔵)に「(青海)庄井栗条代官吉田」とみえる。文禄四年(一五九五)検地帳が残り(新発田市立図書館蔵)、田畠屋敷七九町九反八畝余・分米九八二石二升。名請人のなかに西蓮寺・正伝院があり、地字にすなおし・よこ枕・里やうけ作・宮の前・くねからミなどが記載される。また慶長二年(一五九七)にも上杉氏による検地を受け、検地帳(桑原春男氏文書)末尾を欠くが、名請人のなかに来迎寺・西蓮寺・正伝院・観音寺などがみえる。

慶長三年新発田藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報