日本歴史地名大系 「井門村」の解説 井門村いどむら 愛媛県:松山市重信川北岸地域(旧久米郡・下浮穴郡地区)井門村(浮穴郡)[現在地名]松山市井門町(いどまち)松山平野の南平坦部に位置する農村。東は森松(もりまつ)村、西は重信(しげのぶ)川を隔てて徳丸(とくまる)村(現伊予郡松前町)、南も重信川を隔てて八倉(やくら)村(現伊予市)、北は内(うち)川を隔てて井門村(久米郡)に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の浮穴(うけな)郡の項に「井門村 林有、柴山有、小川有」とある。北に隣接して久米郡に属する井門村があるが、両村の関係は不明である。天正(一五七三―九二)の頃、河野氏の部将井門宗左衛門義安がいたので、井門村と命名されたといわれる。古代には、浮穴郡井門郷(和名抄)に属したと考えられる。中世には河野氏の支配下にあり、井門城が構築され、同氏の家臣がいたと推察される。 井門村いどむら 愛媛県:松山市重信川北岸地域(旧久米郡・下浮穴郡地区)井門村(久米郡)[現在地名]松山市北井門町(きたいどまち)松山平野の南平坦部に位置する農村。東は越智(おち)村・土居(どい)村(久米郡)、西は古川(ふるかわ)村、南は井門村(浮穴郡)、北は居相(いあい)村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の久米(くめ)郡の項に「井門村 小川有」とある。古代には、久米郡石井(いしい)郷(和名抄)に属したと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by