(山内譲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…河野氏は惣領家の通盛が北朝方にくみしたのに対し,庶家の土居・得能氏が南朝方として活動した。また忽那氏では庶家忽那義範が南朝方に属してめざましい活躍を示した。彼は一貫して南朝支持の立場を堅持し,懐良親王の忽那島(現,温泉郡中島町)下向の際にはその護衛に任じ,さらに海上機動力を駆使して瀬戸内海の各地に転戦した。…
…阿波の伊島や淡路の沼島に拠った安宅(あたぎ∥あたか)氏,阿波の舞子島,野々島の四宮氏,小豆島の飽浦(あくら)氏,佐々木氏,塩飽(しわく)諸島の塩飽氏,伊予の能島(のしま),来島(くるしま)と備後因島(いんのしま)の三島村上氏,伊予の忽那七島の忽那氏などは南朝方海上勢力であった。なかでも征西将軍宮懐良(かねよし)親王の九州下向に当たり,忽那義範は1339年(延元4∥暦応2)これを忽那本島の館に迎え,その3ヵ年の滞在中,伊予の南軍の勢いは大いに振るった。しかし,やがてまず四国東部は武家方の細川氏が制し,中国路においても63年(正平18∥貞治2)ころから大内弘世や山名時氏が幕府方に降って南朝勢力は急速に衰え,最後まで細川氏に対抗した伊予の河野氏もやがて幕府に降り,瀬戸内の南北朝内乱は終りを告げた。…
※「忽那義範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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