上流部の重信町では
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛媛県中央部の松山平野を流れる川。一級河川。延長36キロメートル、流域面積445平方キロメートル。高縄(たかなわ)半島中央の東三方ヶ森(1233メートル)南麓(なんろく)に発し、松山市南部で伊予灘(なだ)に注ぐ。流域は花崗(かこう)岩の崩壊地が多く、河川運搬物が多い。また左岸で重信川に合流する井内川、拝志(はいし)川、久谷(くたに)川、砥部(とべ)川は、中央構造線に沿う大断層崖(がい)と石鎚(いしづち)第三紀層の地すべり地帯を流域にもち、いずれも平野周辺に扇状地、洪積台地を形成する。このため重信川は四国でも有数の荒れ川で、古くから洪水が絶えなかった。近世初期に松山藩の足立重信(あだちしげのぶ)(?―1625)がこの荒れ川を改修したので、1625年(寛永2)以来重信川と称するようになったとされる。
[深石一夫]
愛媛県中央部を西流する川。幹川流路延長36km,全流域面積445km2。今治,西条,東温3市の境界をなす東三方ヶ森(1233m)に水源を発し,ほぼ南西流して東温市の旧重信町見奈良付近で東から表川を合わせて西に流路を変え,砥部(とべ)川,石手川などの支流を合流して松山平野南部を流れ,松山市の南で伊予灘に注ぐ。流域面積の約8割を占める山地は崩壊性の地質よりなるものが多く,四国地方では例をみない荒れ川として知られる。旧重信町横河原付近に形成された扇状地は砂礫層が厚く堆積して天井川となり,平時は伏流しほとんど表流水がみられない。古くは伊予川と称したが,文禄・慶長期(1592-1615)ころに松山藩主加藤嘉明の重臣足立重信が改修したことから,その功績をたたえ重信川と改められた。改修工事は,加藤氏の後,蒲生氏,松平氏と松山藩主に引き継がれ,どの部分が重信の施工かは定かではないが,改修前の伊予川は松山市高井付近から現在の流路の南方を麻生(あそう),八倉,徳丸,出作,大溝を経て松前(まさき)の南で伊予灘に注いでいたと考えられている。明治以後もたび重なる洪水の被害があり,1945年より改修工事が進められた。流域の松山平野の灌漑は溜池が少なく,重信川の豊富な伏流水に依存するものが多い。
執筆者:門田 恭一郎
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