交趾(こうち)(読み)こうち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「交趾(こうち)」の意味・わかりやすい解説

交趾(こうち)
こうち

漢の武帝が紀元前111年南越を撃って、その故地に設置した9郡の一つ。現在のベトナム北部、ソン・コイ川(紅河)のデルタとその周辺の地をさす。交趾郡の郡治は(えいろう)にあって、太守はここに駐したが、別に都尉冷(びれい)に派遣されていた。5年後の前106年には交趾刺史(しし)部が置かれて、9郡を統治した。平帝の元始年間(1~5)交趾郡の戸数は9万2440戸、人口は74万6237人もあり、全国103郡国のなかでも大郡であって、漢代を通じ、中国と東南アジア各地間の交通、貿易の中継地として栄えた。名称の起源については、古来当地人民の足指(趾)の形態異常に由来するとの説が行われたが、近年これを「鰐魚(がくぎょ)の郷」とする解釈も行われている。

[陳 荊 和]

『陳荊和著『交趾名称考』(1952・国立台湾大学文史哲学報第一期)』

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