仁比山護国寺跡(読み)にいやまごこくじあと

日本歴史地名大系 「仁比山護国寺跡」の解説

仁比山護国寺跡
にいやまごこくじあと

[現在地名]神埼町大字的字仁比山

仁比山神社の西隣にあり、同神社の神宮寺であった。天台宗

由緒書によると、天平元年(七二九)聖武天皇の勅願によって行基が草創したという。

往時は三六坊あったといわれ、仁比山神社文書や碑文をたどると、成善坊、不動ふどう院、地蔵じぞう院の水上坊、吉祥きつしよう院、法音院の成道坊や宝林坊、中道坊・円頓坊などがその名を残している。これらの総称が護国寺である。一山の塔頭不動院は、仁比山神社の別当職を兼ねていた。戦国末期の永禄二年(一五五九)大友氏の侵入の際戦火で大半が焼失。江戸時代に佐賀藩主鍋島直茂・勝茂の援助で再建・修復されたが、明治維新後の神仏分離廃寺となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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