朝日日本歴史人物事典 「仁礼景範」の解説
仁礼景範
生年:天保2.2.24(1831.4.6)
明治期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士。慶応3(1867)年米国に留学し,帰国後兵部省,海軍省に出仕。中堅幹部として横須賀提督府などに勤務。東海鎮守府長官,中艦隊司令官を歴任。明治16(1883)年12月樺山資紀の海軍大輔就任後,樺山と共に海軍省軍事部設置に努力,17年2月設置後,部長に就任した。軍事部へ権限を集中するなど海軍省の機構改革に尽くす。17,18年鎮守府,石炭庫の設置など海軍の役割と具体策を定めるために日本沿海を巡視した。18年中将に進む。東アジア情勢激化を理由に,大規模な海軍軍拡を要求し,19年3月参謀本部海軍部次長に就任したのちも,海軍拡張を強硬に主張した。第1次松方正義内閣では,薩摩閥重鎮として松方への退陣勧告に加わり,25年8月第2次伊藤博文内閣では海軍大臣に就任した。また11年4月から約2年8カ月海軍兵学校校長を務め,時勢にあわなくなった海軍兵学校規則を全面的に改正した。24年6月から約1年2カ月海軍大学校校長。教え子には島村速雄,加藤友三郎,小笠原長生らがいる。<参考文献>佐々木隆『藩閥政府と立憲政治』,海軍教育本部編『帝国海軍教育史』1・5巻,松下芳男『日本軍閥の興亡』上
(山村義照)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報