コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

西郷従道 さいごう つぐみち

9件 の用語解説(西郷従道の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

西郷従道

幕末・明治の軍人・政治家。大勲位・侯爵。薩摩生。西郷隆盛の弟。明治維新の功労者。山県有朋と渡欧し、兵制を研究する。兵部権大丞・陸軍中将等を歴任し、のち海軍に転じ海相・内相を務める。晩年は元帥となる。明治35年(1902)歿、60才。

出典|(株)思文閣
美術人名辞典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

さいごう‐つぐみち〔サイガウ‐〕【西郷従道】

[1843~1902]軍人・政治家。薩摩(さつま)の人。隆盛の弟。はじめ陸軍に属し、台湾出兵を行ったが、のち、海軍大将。海相・内相などを歴任。晩年、元帥となった。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

西郷従道【さいごうつぐみち】

明治の政治家,軍人,元老。薩摩(さつま)鹿児島藩出身。本名隆興(たかおき),西郷隆盛の実弟。1869年山県有朋とともにヨーロッパ兵制調査研究のため渡欧,1872年陸軍少輔となり,1874年台湾出兵では政府の中止命令をおして征台軍を指揮。
→関連項目海軍大学校元帥府国民協会

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西郷従道 さいごう-つぐみち

1843-1902 明治時代の軍人,政治家。
天保(てんぽう)14年5月4日生まれ。西郷隆盛の弟。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。明治2年渡欧し,兵制を調査。7年陸軍中将となり,台湾出兵を強行。西南戦争では,兄隆盛に荷担しなかった。のち海軍にうつり,18年第1次伊藤内閣の海相,翌年農商務相をかねた。その後も海相,内相を歴任。海軍大将,元帥。明治35年7月18日死去。60歳。通称は信吾。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

西郷従道

没年:明治35.7.18(1902)
生年:天保14.5.4(1843.6.1)
明治期に活躍した政治家,軍人。西郷隆盛の15歳年下の弟。幼名を竜助。13歳で島津家の茶坊主,17歳で還俗して慎吾と改名。9歳のとき両親と死別し,兄隆盛を親代わりとして成長,出世だけでなく思想面でも多大の影響を受けた。戊辰戦争では各地に転戦したが,特別の功績は記録されていない。だが山県有朋と共に選ばれ,明治2(1869)年6月から1年余,主にフランスの兵制を視察できたのも兄の威光の故であろう。帰国直後に兵部権大丞,陸軍掛となり,4年7月兵部大丞,12月兵部少輔に任ぜられるという異例の出世は隆盛の存在なしではありえない。周囲が隆盛に気を使い,特別扱いしたとも考えられる。6月隆盛が征韓論論争に敗れ,その下野が決定的になると,逆に従道は台湾事務都督,次に台湾生蕃処理取調委任,台湾蕃地事務都督となり,7年4月から12月まで行われた台湾出兵を指揮した。この間5年3月陸軍少将,7年4月陸軍中将と山県に次ぐ昇進であり,隆盛の分が従道にまわったようにみえる。台湾出兵は,士族の不満解消のための処方箋であったが,10年恐れていた西南戦争が勃発,従道は陸軍卿代理を務め東京を動かなかった。隆盛と袂をわかったことに対する非難強く,これを避けるためイタリア特命全権大使になったが,結局赴任しなかった。11年5月参議兼文部卿,12月から13年2月まで兼陸軍卿,14年10月から18年12月まで兼農商務卿を歴任,山県に並ぶ陸軍,政府の要石の位置に立った。隆盛に似た茫洋として把握し難い性格,融通無碍の性格を奇貨とした周辺によって持ち上げられたのだろう。18年内閣制の発足とともに初の海軍大臣となり,以後海軍籍に入る。外に清仏戦争あり,鎮守府を中心としたフランス式海岸防備体制を導入,清国に対する戦備の充実に努めた。途中第1次松方正義内閣内務大臣,枢密顧問官に代わることもあったが,31年まで海軍大臣として海軍部内をまとめるうえで功績をあげ,同年初の海軍元帥となった。<参考文献>西郷従宏『元帥西郷従道伝』

(田中宏巳)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

さいごうつぐみち【西郷従道】

1843‐1902(天保14‐明治35)
明治時代の軍人,政治家,元老。本名は隆興,通称信吾。薩摩国鹿児島城下生まれる。西郷隆盛の実弟。1869年(明治2)山県有朋とともに兵制研究のため渡欧(プロイセン,フランス,ロシア)し,帰国後兵部権大丞陸軍少将,兵部少輔,陸軍少輔,同大輔に進む。74年陸軍中将兼台湾蕃地事務都督に任ぜられ,政府の中止命令をおして台湾へ出兵した。76年征台の功により最初の勲一等に叙せられる。78年参議兼文部卿次いで陸軍卿に就任し,81年農商務卿,84年伯爵,そして85年内閣制の成立を機に海軍大臣となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

さいごうつぐみち【西郷従道】

1843~1902) 軍人・政治家。薩摩藩の人。西郷隆盛の弟。渡欧して兵制を調査。1874年(明治7)、台湾蕃地事務都督として台湾征討を強行。のち海相・内相を歴任。海軍大将・元帥。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西郷従道
さいごうつぐみち

[生]天保14(1843).5.4. 鹿児島
[没]1902.7.18. 東京
軍人,政治家。西郷隆盛の実弟。薩英戦争戊辰戦争に従軍,明治初年山県有朋とともにヨーロッパ諸国を歴訪,兵制を研究したのち帰国。明治3 (1870) 年兵部権大丞に就任,同5年兵部省を廃し陸海軍2省が設置されるや陸軍省輔となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西郷従道
さいごうつぐみち
(1843―1902)

明治時代の軍人、政治家。海軍大将、元帥。薩摩(さつま)藩出身。天保(てんぽう)14年5月4日生まれ。隆盛(たかもり)の実弟で通称は信吾(しんご)。1869年(明治2)山県有朋(やまがたありとも)に随行して渡欧、近代兵制を調査研究し、日本陸海軍の創設に貢献。1873年陸軍大輔(りくぐんたいふ)、翌1874年台湾蕃地事務都督(たいわんばんちじむととく)に任じられ、政府の出兵中止訓令を拒否して征討を強行、政府を国際的難局にたたせた。1877年の西南戦争では兄隆盛につかなかった。1878年参議兼文部卿(もんぶきょう)、ついで陸軍卿に就任。1885年第一次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣の初代海相、1891年には第一次松方正義(まつかたまさよし)内閣の内相となったが、大津事件の際、司法権に干渉、事成らず辞任した。日清(にっしん)戦争時には海相に再任されるなど、元老の一人として藩閥政府に重きをなし、1895年には侯爵に叙せられた。明治35年7月15日病死。[田中時彦]
 東京・目黒にあった旧西郷従道住宅は国の重要文化財で、明治村に移築された。[編集部]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の西郷従道の言及

【栄典制度】より

…これら栄典の制度化は日本近代化と密接不可分の関係にある。まず最初の叙勲者が台湾出兵の功労者西郷従道だったことに,近代日本のアジア進出が象徴される。次に爵位に基づく華族制度の創設は,維新期の功労者の栄誉体系への組みこみにほかならなかった。…

【台湾出兵】より

…西郷隆盛の弟従道を台湾蕃地事務都督に任じ,74年4月に出兵しようとしたとき,イギリス,アメリカが強く反対し,政府内でも木戸孝允ら長州派が外征反対を唱えたため,いったん征討中止を決定した。しかし,兵3600を率いて長崎に到着していた西郷従道は,政府の中止命令に応ぜず独断で出兵を実行した。大久保は全権弁理大臣となり,フランス人ボアソナードとル・ジャンドルを顧問として北京に赴き,清国と台湾問題を交渉した。…

※「西郷従道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

西郷従道の関連情報