日本歴史地名大系 「仁色村」の解説 仁色村にしきむら 兵庫県:姫路市旧神崎郡地区仁色村[現在地名]姫路市船津町(ふなつちよう)江鮒(えぶな)村・太尾(ふとお)村の北に位置し、神東(じんとう)郡に属した。市(いち)川左岸の沖積地と中位段丘および西光寺(さいこうじ)野の台地上に立地する。西は市川を隔てて当村枝村の仁色新田(現香寺町)、北は神東郡中野(なかの)村。二色村とも記された(貞享元年「本多忠国領知目録」本多家文書など)。中世には蔭山(かげやま)庄に含まれた。永仁五年(一二九七)八月日の御所大番役定書案(九条家文書)によると、「かけやまにしのむら」は四月の御所大番役が賦課されていた。この「にしのむら」は当村のことか、慶長国絵図に記され寛永(一六二四―四四)頃に消滅したとされる西村のことか不明。嘉暦三年(一三二八)七月一六日の藤原宗氏請文、同年七月二〇日の藤原義夏請文および元徳二年(一三三〇)閏六月二一日の僧了忍請文(いずれも九条家文書)によると、当村公文職は弘安年中(一二七八―八八)に水田禅阿から如覚に相伝され、応長二年(一三一二)に如覚から子息義夏に伝領されたが、地頭に押領されたため義夏は幕府に訴え出ている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by