日本歴史地名大系 「下垣内村」の解説 下垣内村しもかいちむら 広島県:豊田郡安浦町下垣内村[現在地名]安浦町下垣内(しもがうち)赤向坂(あこうざか)村の西南、中畑(なかはた)川流域に本郷があるが、当村の北赤向坂川最上流域にも飛郷がある。山がちで平地に乏しい。古くは東南隣の内海(うちのうみ)村に属する枝郷であったが、寛永年間(一六二四―四四)に分離した。「芸藩通志」は「下垣内(しもかいち)村」として、田畝一二町三三畝余、高一〇一・七五五石とある。明治三年(一八七〇)の郷村帳(「芸藩志拾遺」所収)も石高に変化はないが、うち一石四斗五升八合が新田とされている。ただし天保郷帳には当村名はみえず、内海村に含まれて幕府に報告されたものと思われる。 下垣内村しもがいちむら 兵庫県:姫路市旧神崎郡地区下垣内村[現在地名]姫路市船津町(ふなつちよう)中野(なかの)村の北に位置し、市(いち)川中流左岸の沖積地に立地する。天正一九年(一五九一)九月一日の宮脇(みやわき)村正八幡神社の祭礼奉納神事相極次第(正八幡神社文書)に「獅子頭二頭 下垣内村・土師村」とある。慶長国絵図には「下ノかいち」と記される。正保郷帳では田方八六石余・畑方三石余。元禄郷帳にはシモカイチと訓が付され、ほぼ同高。天保郷帳では高一一一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by