日本歴史地名大系 「今切湊」の解説
今切湊
いまぎれみなと
浜名湖南部の今切口に位置し、新居湊ともいった。成立は一五世紀末頃の今切形成後とみられる。永禄一一年(一五六八)三月一六日、今川氏の奉行人権田甚兵衛礼豊が駿府から紀州熊野に奉納する米銭二一〇貫文を積んだ舟の運航を新居渡ならびに新居湊の奉行に指示している(「礼豊書下」熊野夫須美神社文書)。天正一八年(一五九〇)二月、豊臣秀吉は小田原攻めのため今切湊に着岸した淡路国の大名脇坂安治の水軍が清水まで進むことを了承しており(二月晦日「豊臣秀吉朱印状写」脇坂文書)、すでに一六世紀中頃には湊としての機能をもっていた。
寛文七年(一六六七)新居関所に出された今切関所改次第(教令類纂)によると、今切湊へ出入りする「関東・西国渡海之船」は入湊手形・出船手形の提出を義務付けられ、積荷の改を受けた。遠江国から江戸へ送られる城米の輸送には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報