新居町(読み)あらいちよう

日本歴史地名大系 「新居町」の解説

新居町
あらいちよう

面積:一三・四七平方キロ(境界未定)

郡西部、浜名湖西岸に位置し、西は湖西市、東は浜名湖を隔て舞阪まいさか町に接し、南は遠州灘に面する。町内には北東から南西方向に国道一号が貫き、JR東海道本線の新居町駅西で国道三〇一号と合流する。国道三〇一号は東海道本線にほぼ並行しながら湖西市へと延びる。また新居町駅付近から舞阪町にかけての浜名湖上には国道一号・東海道本線・東海道新幹線が並行して走るほか、太平洋岸には浜松市と愛知県豊橋市を結ぶ浜名バイパスが通り、遠州灘と浜名湖が接する今切いまぎれ口には浜名大橋が架かる。北西部には丘陵性台地が広がり、南東部には二列の砂洲列が東西に延びる。遠州灘沿いの砂洲列は、明応―永正年間(一四九二―一五二一)に今切が決壊するまでは東へ延び、この二本の砂洲列に挟まれた部分がかつての浜名川の跡である。

町域では中世を含め七五ヵ所の遺跡が登録されている。縄文時代では寺川てらかわ天白てんぱく両遺跡から早期・前期の遺物が出土し、前期土器の少ない西遠地方の状況を示す好資料となった。浜名湖の湖底から縄文土器片が採集されており、ゼゼラ遺跡をはじめ、スモテ遺跡・西浜名橋北にしはまなばしきた遺跡などが知られる。弥生時代では中之郷なかのごう地区に集落が営まれ、中期の一里田いちりだ遺跡や後期の森元もりもと遺跡が調査されている。古墳は中之郷に円墳の角江かくえ古墳がある。奈良時代には湖西古窯跡群に含まれる山田やまだ古窯跡群などが、町域北西部に確認されている。七世紀初頭、町域は敷智ふち郡に属し、天平一二年(七四〇)頃には浜名郡に属した(「遠江国浜名郡輸租帳」正倉院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報