浜名郡(読み)はまなぐん

日本歴史地名大系 「浜名郡」の解説

浜名郡
はまなぐん

面積:二六・二五平方キロ(境界未定)
雄踏ゆうとう町・舞阪まいさか町・新居あらい

古代以来の遠江国の郡名。現在の浜名郡は静岡県西部、浜名湖の南東岸および南西岸に位置し、遠州灘に面する。東は浜松市、西は湖西市に接し、北は浜名湖を挟み引佐いなさ細江ほそえ町・みつ町。国道一号、浜名バイパス、JR東海道本線などが通る東西交通の要地。古代の郡域は浜名湖西岸一帯に及んでいたとみられるが、中世から近世初頭は浜名湖北岸に限られたと考えられ、その後三河境の遠江国の南西端の白須賀しらすか宿・境宿さかいじゆく(現湖西市)二村で幕末に至った。明治二九年(一八九六)長上ながのかみ敷知ふち豊田とよだの各一部と合併し郡域は広がったが、浜松市・浜北市・湖西市などが成立、周辺町村が順次編入されて現郡域となった。「和名抄」東急本・元和古活字本(国郡部)に「波万奈」、名博本に「ハマナ」の訓がある。

〔古代〕

浜名湖西岸、現在の新居町、湖西市・三ヶ日町などにあたると推定されている。「和名抄」高山寺本には坂本さかもと大神おおみわ駅家うまや贄代にえしろ英多あがた宇智うちの六郷がみえ、東急本には坂上さかかみ郷、名博本には坂下さかしも郷がみえる。郡名がみえるのは天平一二年(七四〇)一一月二〇日の遠江国浜名郡輸租帳(正倉院文書)が早い。ただし近年藤原宮跡から出土した木簡に「遠江国浜名日下部君□」との表記があり(「藤原宮木簡概報」一一―一一頁)、この浜名は郡名と考えられるので、遅くとも八世紀初頭までには郡(ないし評)として成立していたと考えられる。浜名郡輸租帳によれば、天平一二年当時郡内には一千八六町一段余の田があり、戸数(郷戸・房戸の合計数)七五〇戸(うち神戸一二五戸・封戸一一〇戸)、口数五千三七一であった。また「和名抄」郡郷部にみえない新居郷・津築つづき郷がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報